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平和を愛する

まだ僕が小さな子どもの頃、戦争が終わった夏、というのはとても遠い過去のことだと思っていました。そして、その戦争を終えるきっかけになったと言われていた、原爆が日本に落とされた日もそうでした。ずっとずっと過去のことだと思っていました。

衝撃的な絵の絵本(ひろしまのピカ)を保育園で見た時も、国語の教科書で「ちいちゃんのかげおくり」を読んだ時も、遠くの知らない時間と場所で起きたような、そんな気がしていたのです。

でも、少し大きくなって、じいちゃんが戦争に行った時の話を聞いたり、もっと長い話が読めるようになってきた時、戦争ということが日本でも起きていて、誰でも命を奪われてしまう可能性が、あまりにも大きかった時のことを考えるようになりました。

そして、大人になって、ひとり旅で訪れた広島で、ようやく原爆が落とされた歴史やその場所の意義のようなものを感じることとなりました。被爆地という言葉は、一般人を巻き込んで凄惨な殺戮が行われてしまった衝撃的な意味を含んでいました。そんな場所が、自分たちの住む国にあることをようやく知った思いがしました。

広島に行った時、ずっとずっと見てみたかった原爆ドームに訪れてみると、思っていたよりも小さい建物だったことに驚きました。そして、その建物が国の施設であったことを知り、廃墟となっている目の前の建物のあちこちから、働く人の気配がするような気がして、ドキッとしたことを思い出します。

戦争の物語を読むと、どうしても日常生活のことが薄れてしまうのですが、戦争中とはいえ、毎日の暮らしがあって、毎日の仕事があったというのは、大人にならないと体感できないことでもありました。

奇しくも、僕が今働いている職場と似ている部分があって、直接的に国防だとか戦争に対抗している業務ではないけれど、誇りを持って働いていたのだろうと思うと、悔しくなるのでした。

平和祈念館では、原爆を投下する街の選定過程があったことを知り、日本各地がいわゆる標的候補地になっていたことがわかる資料が展示されていました。僕の生まれた街である川崎の名前も載っていて、ゾクリとしました。

大人になると、子どもの頃にあんなに遠かったはずの過去が、近づいていました。

仕事で、戦争に関連した話を聞いたり、業務にあたるにつけ、その思いは強くなりました。目の前で話している人が、戦争を体験していたのです。不謹慎ながらも、映画のような作り物のような、信じられない話を聞きながら、そういう時代を生きてきた人たちは、どんな思いで人生を全うするのだろう・・と考えてしまうのでした。

平和を愛する・・両親が、僕の名前に込めた思いの一つです。日々のことで、あっという間に毎日がすぎてしまいますが、朝の時間、子どもたちに「78年前の今日の話」ができたら、と思います。


#平和 #戦争 #広島 #原爆の日


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