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音符のひとつ

中高大、と卒業してからも、音楽と親しくしています。

いまは、なかなかできませんが、ひとりで演奏するというよりも、仲間と集まって音楽を作るという演奏方法が好きです。実際、部活と呼ばれているものはそういう集まりだし、そのほうが続けられる気がします。中学校の時に吹奏楽部に入部し、全然希望していなかったトランペット担当になって以来、ヤマハ、バック、バーバンクとメーカーを変えつつも、ずっとトランペット一筋の音楽生活を送ってきました。それ以前に、ピアノを数年習っていましたが、そちらはあまり真面目に練習しておらず、いま思うと反省しきりです。

さて、楽器の演奏には、それなりに練習が必要なのは知ってのとおりですが、不器用な僕にとって練習のために練習することも多くありました。でも、音が出ることの喜びや、それが並んでメロディっぽくなったり、つながって、重なって曲になったときのなんとも言えない感動は、練習していてよかったと思える気持ちいい体験でした。

そんな部活では、部の関係者以外から教えてもらうことが結構あります。いわゆる外部の先生という存在ですが、そういう方が来ると、まず使う言葉が違ったりして(日本語ではあるけど)刺激を受けます。そんなとき、僕のその後の演奏生活にも大きく影響している言葉と出会いました。高校生のときだったと思います。

「休符も、音符だ」

言葉の定義では当たり前のことなのですが、それまで休符は「やすみ」だと思っていたところ、「音を出さない音符」なのだと言うのです。音楽を作る為には、単に音を重ねるだけではなく、音を減らす、あるいは出さないことも大切です。休符こそ、メロディーの雰囲気を決めるという場合だってあるわけです。

休符という音符も、とても大切なのだ、と改めて気づかされたのです。音を出していない意味、のようなことを考えると、音を出し始めるタイミングや、音の大きさ、そして休符に向かうための終わり方など、色々と気を遣う場面が多いことがわかったのです。

音楽のセンスがある人なら、そんなことを気がつかずに自動的に出来るようなものですが、いかんせん僕は不器用なので、そういう理論というか発見があって、より楽しさが増したような気がします。音を出していなくても、大切な役割を担っている、そんな発見です。

そんな「きゅうふ」という読み方が同じ言葉に、「給付」があります。給付金が巷で話題になり始めたころ、「休符の数だけ、休符金が欲しい」というツイートを見かけました。休符の数だけ・・と言うくらいだから、譜面に休符が多い楽器の演奏をされている方なのだろうなぁと思います。休符が多いと、数えるのが大変だけれど、たまに出す音の重要さには緊張感が伴います。

音が出ていなくても、休んでいるわけではなくて、音楽をつくる大事な役割を担っている・・それは、「休業」にも言えるのかも知れないなと思うのです。街や社会に大切な存在であるお店たちが休業していました。でもそれは、休んでいるのではなく、新しいやり方や、復活に向けての準備など、そのための時間、すなわち「休符」なのではないかと思ったりして。当事者からしたら、そんな呑気なこと言うなと叱られそうですが。

そんな存在に温かな視線を向け、手を差し伸べられるようになっていきたいと思いました。

#給付金をきっかけに #音楽 #楽譜 #音符 #先生 #部活 #休業 #表裏一体

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