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硬い殻を割るための、僕たちのやり方 〜クルミド大学・はちマルカレッジ〜

6月に入って最初のカレッジ。

「もつさんが見たことや感じたことを、書いてほしいんです。」

カレッジマスターからのそんな執筆依頼を受け取って、改めて考えてみました。ここで、僕が見た、或いは見ている景色って、一体どんなものなのか。

なによりもまず、「正直な人たち」が集まった会でした。その会によって、安心して参加できる場が作られていったように感じています。

僕たち家族は「クルミド大学」にいます。

クルミド大学とは

昨年の6月は、皆さんにとってどんな時だったでしょうか。

一人ひとりに10万円の給付金が支給され、思いおもいに「お金のつかいかた」を考えた時間もあったかも知れません。幸いなことに、僕の仕事は部署によってはかなりの変化でしたが、僕自身はほとんど影響を受けることなく、仕事をしていました。

冒頭からここまで、唐突にカレッジだとか大学だとか、いったい何だ、と思われているかも知れません。ここに書いてあるのは、僕が参加していた「クルミド大学」のこと。

カフェの店主が呼びかけて、店でアルバイトをしていた大学生がマスター(学部長、生徒会長?)となり、あるテーマについて学び、実践していこうとする、学びの場。それが、大学でした。カレッジは、学生たちが集まる日、のような感覚です。

カフェの名前から肖って、『クルミド大学』と名乗り、政治学部という看板を掲げていました。

そこに集まったのは、僕と妻を含めて7名の学生たちでした。学生と言えど、ほとんどの人が社会人と呼ばれる年齢。「個性豊か」で片付けられないほどに、好奇心や探求心にあふれたメンバー。

ここでは紹介を割愛させていただきますが、初回のカレッジが終わってから、とてもワクワクしたのを覚えています。

そんなメンバーに混じって、僕たちは家族で参加させてもらいました。

投票率を80%に、政治を身近に

カレッジの大きなテーマは、
「選挙での投票率80%を目指す」
でした。タイトルの「はちマルカレッジ」の、“はちマル”とは、80のことなのです。

そのことを軸に、政治のこと地域のことを、少しづつ掘り下げてみたり、それぞれが考えることを、少しづつ進めていきました。基本的には、メンバーの持ち寄りによる問題提起をきっかけにして、自らの実体験や、それぞれの職業的な視点からの考察などを話し合ってきました。

政治がタブー視されるのはなぜ?

政治はプロのもの?知識がないと語れない?

政治のことをもっと話したい!

地域のこと決めてるのって誰なの?

自分でも何かを変えられることがあるかも?

このニュースが分からない

子どもの頃から政治に触れるためには

こうして書いてみると、いろんなことを話し合ってきたけれど、こうして言葉にすればわかるように、「世間話の延長」のように感じる話題がほとんどでした。

話し相手が欲しい、それは共感を求めることでもあり、また反対に、対話をしたい、そんな気持ちでカレッジが開かれていました。

決して、誰かの意見に盲従するようなこともなく、疑問や意見を重ねて、そういうことか、と頷くような時間は、今考えるととても貴重な体験でした。

ぐるグル

カレッジで楽しんでいることを、もっと広めていきたいよね、という思いもあって、対話する会(テーマとして“政治のことを話す会”というのがありました)を企画。

ぐるぐる考える、ぐるぐる話す、ぐるぐるを楽しむ、そんな気持ちから「ぐるグル」と名付けた、対話の会が何度も開かれ、カレッジだけではない、さまざまな方々と対話することを楽しみました。

カフェのお客さんを中心として、メンバーの活動の仲間や、地域の友人のみなさんが、それぞれの声を上げて、共感したり、学んだりすることは、とても刺激的でした。

ぐるグルは、これからも継続していく活動になるかも知れません。ご縁があれば、ご一緒しませんか。

教えて○○さん!


神はクルミを与えてくださる。

でも、それを割ってはくださらぬ。

ーフランツ・カフカ

個性豊か、と書いたメンバーの素性を知りたいと思って動いたのは、妻でした。オンライン会議を駆使して、メンバーのひとりひとりにスポットを当て、インタビューしていました。

インタビューはメンバー間で公開していて、各回ともに発見がありました。中でもカフェの店主の会が、個人的には印象に残っています。それまで、著書を読んだり読者会には参加したことがありました。

カレッジでお話をすることも何度もあったけれど、その人を対象にして話を聞けるというのは、とても貴重だなと思ったのです。


この世界は、誰かの仕事でできている

心に響くこのフレーズは、多くの働く人を勇気づけてくれます。そんなふうに、“政治の現場”と呼ばれるような場所を訪れたこともありました。

メンバーのつながりが濃くなり、また広がることで新しい世界が広がることは、何歳になってもワクワクします。

カフェのある国分寺市の議会の見学をした時、オンラインでの中継を見ながら、ひとりのメンバーが現地にいるという状況を利用して、面白がりながら見ることができました。

きっと不謹慎だし、不真面目な態度ですが、議員と市長とのやりとりや、言葉遣いなど現場の空気が伝わる時間でした。

また、有志のメンバーで、国会への見学も実現しました。日頃から国会や推し議員を愛でていたメンバーの1人はえらく喜んでいました。

議場は劇場、議員はアイドル。

まさにアイドルに会えたファンのように、浮き足立ちながら、お話をする機会がありました。

でも、驚くほどに議員さんたちの目線は、僕たちと同じくらいのところにありました。国会にいる誰もが、実は「ふつうの人」で、そして懸命に仕事をしている様子は、多くの方に知って欲しい景色でした。

学ぶのか、暮らすのか

「政治を学ぶため」と言った途端、大学だとか、○○政経塾のような、ある意味では権威的な格式ある体制が要請される印象があります。

政治家になるの?
何か社会に不満があるの?

政治不信なんて言葉のように、なんとなく眉をひそめられてしまうような、そんな雰囲気は、いつの間に作られたのでしょうか。

学問の本質は知識ではなく実践である、という言葉もありますが、政治はまさにそんな世界だと思っています。歴史を読み、仕組みを知る、知識を得て、そこからが本質なのかも知れません。

暮らしに政治を感じ、参加していくこと、そして、変えていくこと(変えないことにも価値はありますが)、それが実践なのではないでしょうか。

クルミド大学での学びは完成していません。

メンバーがそれぞれに新たな課題を見つけたり、想像していなかった景色が広がりつつあったりして、続いていくのです。

価値ある時間、それは後から気がつくのかも知れません。そして、そんな時間を過ごせたことに、精一杯の感謝を込めて。

最後に

私はクルミの殻の中に閉じこめられた小さな存在にすぎないかも知れない。
しかし、私は自分自身を無限に広がった宇宙の王者と思いこむこともできるのだ。
ーウィリアム・シェイクスピア

この言葉に出会った時、政治を学び実践する、ということは、この言葉にとても似ていると感じられました。

実は僕たちは胡桃の殻の中にいて、何もできないと思い込んでいるけれども、何かできるんじゃないか、そもそも自分や自分の暮らしは誰が作っているんだろう、そんなふうに考えるのです。

自分という宇宙を治めているのは、ほかならぬ自分なのであり、自分をご機嫌にするために、出来ることがあるはずだとも思うのです。

最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。


クルミド大学のオープンキャンパスのために、書いた文章です。メンバーから承諾をもらってこちらにも公開します。ご興味あれば、ご参加お待ちしています。(詳細が分かり次第、リンク貼ります)

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