こいで進む、ふたり #創作大賞感想
高校が自宅から近かったので、自転車で通っていた。でも帰り道は部活のみんなと帰りたかったから、自転車に跨ったままみんなの歩きと一緒に漕いでいたら、いつしか歩く速度で漕げるようになっていた。これを僕は「自転車で歩いていた」と表現している。
自転車に乗れるようになったのは小学3年生くらいだから、一般的には遅咲きのサイクリストだったけれど、それ以降、友達のうち、ピアノの先生のうち、スイミングスクール、図書館など、さまざまな場所に自転車で向かっていた。
家族全員で四台の自転車を連ねて移動することもあり「カルガモの親子みたい」などと言われたものだ。
自転車が街角に増えてきた。もともとあったところは台数を増やし、え?こんなところに?みたいな場所にもスタンドがある。シェアサイクル、もといレンタサイクルである。電動アシスト付きで楽に乗れるようになっているが、乗ったはいいけれど、降りる場所が空いていなければ返すことができないのが難点だ。
椎名ピザさんの小説「レンタサイクルの彼女」を読んだ。
本編ではない話題からで恐縮だが、コメント欄を見るとどうやら元ネタのようなものがあるらしい。確かに、タイトルの語感が良いし、あえてレンタサイクルを使っているのも、ちょっとレトロじみていてエモさ(使い方合ってる?)があるような気がする。
主人公の語りが、とても個性的だと思った。比喩がいちいち面白いし、これだけ豊かな感性をしているのに、なんとなくひねくれているというか、ざっくりいえば負けている印象だ。しかし、その姿こそ読み手が共感する学生像でもあるように思う。
何も特別なことなんてない。それはみんな知っている。だから、それぞれの人が頑張っているのだし、何かを差し出したいと思っているのかもしれない。人は簡単に挫かれてしまうものだけれど、反面で変わらないものに守られているとも思う。
この物語には、当たり前のことが丁寧に書かれていた。受験をしたって、二人とも同じ大学に受かるかどうか分からないし、会社だって入ってみなけりゃ本当の姿は見られない。でも、そういう”違い”があって、経験が厚くなっていくのだろう。
何も根拠はないが、書き手は、世の中の理不尽というか、ちょっと納得の行かないことに敏感なのかもと考えた。ともすれば多くの人が見過ごしてしまうことでも「ちょっと待ってよ」と言えるような、そんな強さがあるのではないか。
作中に何度も出てくる「ーーレンタサイクルで去っていった。」は、いちいち爽快感があって、場面と読み手の感情を区切ってくれた。これは意図したものかわからないけれど、一箇所だけちょっと表現が違う場所があり、気がついた時にうなってしまった。景色が変わった。
1話1話にコメントがいくつもついていて、書き手と読み手がぐるぐると交流しているような、とてもいい関係が見えた気がした。書き手と読み手が近いことは、やっぱり楽しいよね、なんて思う。
レンタサイクルに乗るたびに、ラストの場面を思い出してしまうだろう。
そんな無茶な…。
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