見出し画像

450日間、煮込んだら

いつも、本当にありがとうございます。今日で、毎日更新を始めてから、450日となりました。

昨年の5月、毎日書いてみよっかなぁなんて軽い気持ちで始めたことが、あれよあれよと一年がすぎ、さらに3ヶ月が経とうとしています。

正直、これまでの人生の中でこんなに続けていることって、ないんじゃないかと思います。って言うか、ないんです。

とはいえ、周囲を見回してみると、1000日を達成した方もいるし、出版の夢を叶えた人も増えている気がします。目標を達成するって、とても気持ちいいことですよね。おめでとうございます。

これまで、僕が毎日更新を続けている理由みたいなのを書いているときには、基本的には自分がどんなふうに考えているのかを知るため、そして、家族の記録のため、と説明していましたし、自分自身ではそのように信じていました。

しかし実際のところ、敬愛している皆さんの記事を読んだり、毎日のように書いて公開して、コメントをもらっていくうちにわかってきたのは、読んでもらうのが好きだという、根本的なことでした。いや、今更ですか・・と自分でも思います。

落ち着いて考えてみると、それは、読み手の皆さんの顔が見えないから、なのでしょうか。

そのことについて考えてみたけれど、答えはすぐに見つかりました。700以上の投稿を書いて、ようやく気が付いたのか、それとも変わらずに持ち続けていた考えかも知れません。

たとえ読み手の顔が見えても、僕は読んでもらうのが好きです。書き続けられる自信があります。だから、多分僕は顔が見えないからいいやではなくて、顔が見えてるんじゃないかと勝手に思っている節があります。

ほんとうに、いつもありがとうございます。

そして、さらにさらに感謝しているのは、noteを書く時間を理解してくれている家族です。時々出てくる家族のこと、この50日でもいくつか書きました。先日は、かっぱえびせんの「カルビー」さんのコンテストで、賞をいただくことができました。かさねがさね、ありがとうございました。

そんなわけで、振り返りは家族の話を置いてみようかなぁと思います。


まずは、上の子の話から。

蛍狩に出かけた夜、子が七夕の短冊に、ちょっとびっくりすることを書いたので、その時の真意をインタビューした話。インタビューすると、照れながらも応えてくれるので、楽しい時間です。


旅の記録は、三世代旅行で仙台に行った話を書きました。僕たち夫婦は、親同士も仲良し。とても恵まれています。「子の心、親知らず」みたいな状況にはなったけれど、それはとても良い方向だったので、楽しい旅でした。

また行きたい。絶対行く。


今度は、下の子メインの話。時々書いている「100文字の世界」は、日常の1コマみたいな瞬間を描きやすくて、こうして短くてオチのある話を書きがちです。実話です。かわいいでしょ。


そして、カルビーさんの「やめとま話コンテスト」に応募した作品。実はこれは、2作目で、1作目はコンテストの宣伝も兼ねて書いていました。多くの人が知ってほしい企画だったし、noteにいる作り手さんはみんな「やめられない・とまらない話」があるよね、と思っていました。

僕個人の「やめとま話」は、言わずもがな「モンブラン」なのかも知れませんが、本当に書きすぎってくらい書いているため自粛しました。

それでも、まさかの受賞に驚きつつ、読んでもらえたからこそ選んでもらえたのだと、本当にありがたい気持ちです。

両親には、発表の数日前に受賞したことを知らせてしまい、慌てて、箝口令(口止め)を敷きました・・。子が、早くも副賞(カルビーのかっぱえびせん)を心待ちにしています。


振り返りの最後は、直接家族のことを書いたわけではないけれど、書きながら家族が思い浮かんだ話を。働きかたを考えた時、それは生きかたでもあるし、命の使いかたでもあるなと思ったのです。

ずっと胸の中にしまっていた、痛烈な記憶。それを言葉にすることは、少なからず怖さがありましたが、書きながら見つけた光は、前に進む励ましとなって僕に残りました。


毎日更新を何日もしているにもかかわらず、相変わらず成長しない僕の人間性により、スキの数だとかpvの数だとかに、一喜一憂しています。450日も何かを発信し続けているけれど、いつだって自信がないし、結局何が言いたかったのか自分でもわかっていないような話もあるし。

そして、皆さんの投稿を読みつつ、言語化することの可能性を見つめています。嘘でも真実でも、言葉としてそこにあることで、放り投げた安心感と、受け取った時の共有する感覚が、緊張を和らげるような気がするのです。

結局、僕は誰かに話したいことを誰かに話しているけれども、実は自分自身に確認している節があって、毎日のように「よし、今日もどうにかなった。明日もいけるな。」と思っているのかも知れません。


この50日間で、僕はとても後悔していることがありまして・・それは、知る人ぞ知る「すもも」の味を確かめられなかったこと。何度かチャンスがあって、オンラインストアまで行ってカゴにまで入れたのに、手元にカードがなくて決済できなかった・・なので、予約販売となっていたシャインマスカットの方を購入しました。

いま、僕の暮らしている稲城では、特産品の「梨」が最盛期を迎えようとしています。今年は、昨年に比べて出来がよくて、大きな梨が食べられると農家さんがおっしゃっていました。大きいほど甘い・・これは稲城の梨の特徴です。そして、少しすると濃厚な甘みが特徴の「高尾ぶどう」も出回ってきます。

暑い暑いと言っていた夏が、いつの間にか秋の風情になるのも、もうすぐでしょうか。途端に、ちょっとした寂しさのようなものを感じてしまいます。平穏に生きることが、実はとても難しいことなのだと感じるこのごろ、このnoteを通じて「生かされている」と感じることが増えてきました。

長々と思いつくままに書いてきましたが、これからも続けることへの不安というかちょっとした絶望みたいなものも感じていたりします。今まで書いてきたものはなんだったのか・・と、数だけ重ねているような、そんな思いです。とても微妙な感覚なので、うまく言えないのですが、やめたくなっているわけではありません。

でも、それは僕の中だけの話じゃないし、フォローしている方の文章にも、同じように不安が書かれているわけです。何を成功というのか、それは個人に差があるけれども、僕自身は何がnoteにおける成功なのか分かっていません。

少しずつ、何かに近づいているのでしょうか。それとも、少しずつ、何かから遠ざかっているのでしょうか・・そんな夏の夜の思索でした。


ちょっと長くなりました・・いつも、最後まで読んでいただいてありがとうございます。嬉しいです。

明日も、noteで会いましょう。


前回の振り返りはこちら。


#note毎日更新 #450日 #ありがとう #継続 #noteでよかったこと

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

振り返りnote

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、子どもたちのおやつ代に充てます。 これまでの記録などhttps://note.com/monbon/n/nfb1fb73686fd