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エッセイを書くときは孤独 #創作大賞感想

noteの街に暮らし始めて、あなたはどのくらい経つだろうか。いや街って何?と思われる方もいるだろうし、いや図書館でしょとか、noteは単なるSNSだというご意見もあろう。みなさん、正解、大正解である。

noteを楽しむ、とひとくちに言っても、マネタイズだとか書籍化だとか、メンバーシップだとかって、成功している人たちならいざ知らず、何者でもない多くの人は「楽しいです」と描いてあるお面を張り付けているような心境かもしれない。

いわんや、誰にも頼まれていないのに、面倒くさがり屋のくせに、毎日更新などを続けてしまっている僕は、もう自分の本音がどこにあるのかもわからなくなってしまった。

助けてくれ、溺れてしまう、目の前が真っ暗だ、何を書けばいいんだ・・!・・

そんなとき、この人が叫び続けていた魔法の呪文が聞こえてきた。

エッセイは、とにかく自分のことを書いていく。書いていくと、行き詰まるのは「これ誰が読むのよ?」というツッコミであり、「これ面白いの?」という疑いだろう。それでもとにかく書いて、投稿して、やっと読んでもらって成仏するような、それを繰り返しているのが僕かもしれない。

noteよりも、mixiよりもさらに前、世の中に「自分のホームページ」が流行り出した頃に、高校生だった僕はホームページビルダーというソフトで、所属していた吹奏楽部のHPを立ち上げた。コンテンツを更新するたびに担当者の感想を日記として書いていたのだけれど、それがとある親に賞賛されたことがあった。

それがとても嬉しくて、大学生になって「自分のホームページ」を作って公開していたことがある。その中に、通学で使っていた地下鉄で見かけた面白い人たちのことを描写したコンテンツがあって、それが賛否両論だったことが、今考えるとすごいことだったと思う。

それを思い出して、残業帰りの電車内で遭遇した酔っ払いの話を書いた。なんでこんなこと書いてるんだろ、嫌いな酔っ払いのことを嘲笑う僕は一体何者なんだろ、と思いながらも、毎日更新のため…なんて言い訳すら考えて、はたと思い出した。

あの言葉を使って、話を終えれば、オチがなくても許される。
魔法の言葉を今こそ使おう。

誰かに読んでもらうために書いているわけじゃない、と豪語する方もいるだろうし、読み手がいなければ続けられない、と日々実感している人もいるだろう。でも、読み手からすれば、どの人も書き手なのだ。自分は読み専だと言い張っていても何かを書いて投稿したら書き手になれる。

コニシさんは、誰もが書き手になれる道具を開発してくれたのだ。とりあえず書いてみる、それだけでもnoteの街での来し方が変わってくるはずだと信じて。うまく言えないが、そのくだらないことを広めるための努力と我慢を続けた結果が、こうして結実しているのだと思った。

真摯にくだらなさと向き合って、仲間を増やして、広がりを作って、波を立てた。僕もその波を利用して、酔っ払いと向き合うことができた。エッセイは、孤独な時がある。正解がわからない時がある。それでも書きたいことがあれば、書けばいい。

感動なんてしてもらわなくていいから、ちょっとでも笑って欲しい、そんな時には、この言葉で終えるのだ。


なんのはなしですか?


#創作大賞感想 #なんのはなしですか #魔法の言葉 #救い

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