弟に宛てた手紙
天井から吊るされたランプの灯が、せまく埃っぽい室内を照らし出していた。食卓に置かれた皿からは、茹でたジャガイモの湯気が立ち上っている。
泥がついたままの服を着た農民たちは、みな痩せていて手は筋張っている。一日の終わり、疲労と安堵が入り混じる表情からは、農民たちの暮らしぶりが見て取れる。
やっと、やっと、描けたぞ。見てくれ、弟よ。
彼は、いつものように弟に手紙を書いた。それまで、いくつもの習作を繰り返し制作しては、弟から「本格的に描いてはどうか」と提案されていたのだ。
自分に自信がないからこそ、習作を繰り返していたことを弟は見抜いていた。だから、ようやく完成した作品を、心待ちにしているはずなのだ。
習作とは、スケッチのことだ。彼は、ずっと手のスケッチを重ねていた。道具を持つ手、握った手、開いた手・・、その数は数えきれない。細部にこだわり、構成された完成画を描くことを嫌ってさえいた。
だからこそ、画面に収めたいと思う瞬間が訪れたこと、そしてそれを周到な準備によって、一枚の作品として完成させ得たことは、ひとつの成功とも言えるくらい、大きな前進を知らせるものだった。
俺は、真実の農民の姿を描いた。それはあの”落穂拾い”で農民を描いた、偉大な画家ミレーが「農民が種を蒔いている土で描いた」と言われているように、俺の絵は「皮をむいていない、まったく泥だらけのジャガイモの色」なんだ。
残念ながらその作品では、彼らしい色彩は、まだまだ生み出されていなかった。のちの鮮やかな彼の作風からは想像もできないくらい、暗鬱な雰囲気が漂っていたのだ。ひと目見た友人は、酷評を浴びせた。
「ほんの表面を描いただけで、動きがない。芸術に値しない。」
酷評されたこと自体は、友情を断ち切るには十分な材料だった。
しかし、彼は諦めなかった。
現実を見つめ、自らが描く画面には理想を描きつづけた。理想の地を求め、命をすり減らし、彼は作品を生み出し続けたのだ。
農民の顔を照らしていた灯は、やがて夜のカフェを彩る灯となり、彼の存在を知らしめる、糸杉を照らす星灯となった。
(861文字)
『ジャガイモを食べる人たち』1885年 フィンセント・ファン・ゴッホ
(画像素材:©︎パブリックドメインQ)
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ピリカさんの企画されているコンテスト・・応募したくて、ずっと考えていたけれど、この絵が忘れられなくて、再び文献を参照して書きました。史実が明確でない部分が多く、残された手紙の翻訳版を再構成したフィクションです。
参考文献:ファン・ゴッホ 日本の夢に賭けた画家 圀府寺司
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