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生きるにこだわる #創作大賞感想

もともとは違う名前だけれど、あと付けの名が一般化するような例は、いくつもある。

学生時代、ある一般教養の講義のなかで「セカチュー(世界の中心で愛を叫ぶ:片山恭一)は別名だった」というエピソードを聞いた。僕たちの世代にはもはや懐かしい作品である。

もとのタイトルは「恋するソクラテス」であったらしい。今でこそ哲学の敷居はまたぎやすいものになっているが、当時はどうだろう。もちろん、本人ではないが、ソクラテスというあだ名の男子に魅力を感じるのは、そう多くないのではないかと思ってしまう。

あらすじに、ある彫刻家の名前と同じ音を見つけたとき、ついそんなことを思い出してしまった。彫刻家の代表的な作品に「詩人」というものがあるが、別名のほうが一般的になっていることを。その別名とは「考える人」。作者の名前は、ロダンである。

黒木郁さんの小説「けたたましい心音」を読んだ。

一人の女性が主人公となり、周囲とのかかわりのなかで自分の“足りなさ”に向き合い、またそれを治すというか、無視するわけでもなく、受け入れながら成長していく物語だった。

前半の緊張感のある描写は、主人公の生きづらさを象徴しているし、やがて、周囲との関わりが広がり深まっていくにつれ、客観視できるようになると、読み手にも余裕がうまれてくる。後半を読み進めれば、癒しがあり、励ましのようなものも感じられるかもしれない。

中でも、バイト先で人と関わっていくことで、考え方や御し方のようなものが主人公に備わっていく様子は、殻に閉じこもるのではなく、外に出てみる、他人と接してみることの可能性を示唆しているようで、清々しく感じられた。

強くいきることは難しくても、生きることにこだわっていく、そんな主人公の姿は、読み手にとって励ましになる。

子と親の関係は、当事者同士では距離感なんてわからないものかもしれない。誰とも比べられない。また外から、関係性に瑕疵があることは見つけるのは容易ではない。

強い言葉や暴力によって、自らの思いのままに子どもを従わせようとしている親、という構図は少なからずどの親子にも似通った心当たりがあるのではないかと思ってしまう。

子育て真っ只中の僕としては、みんなにあると言ってほしい。それは、暴言や暴力を肯定しているのではなく、つい親という存在の力に頼ってしまう、人間力の未熟さのことを言いたいのだ。

人間関係を継続していくことは、難しい。だからと言って、一人で生きることもまた不可能だと思う。

読み手の年齢(40代)になると、近しい知人がこの世から不意にいなくなってしまったりすることがある。原因はなんであれ、寂しいし、悔しいと思う。

物語の最後、主人公が願う場面は、とても心が揺さぶられる。生きていれば会えた人たちに、叫んでいるのではない。物語に触れた人に、祈っているのかもしれない。



#創作大賞感想 #生きる #バイト

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