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書きたい、から始まる、読みたい時間

1週間ほどまえにも書いたけれど、創作大賞感想のタグをつけた投稿について、また書く。まずは、いくつもの投稿を読んでくださったみなさま、ありがとうございました。(いつもよりちょっと長い)

創作大賞に応募された作品を読んで、感想を書きたいと思ったのは、フォローしている方を応援するためというのと、自分の作品が思うように書けなかったことに対する反動でもあった。

結果的に、2週間ほどのあいだで、14本の感想文を書いたことになる。

誰しも、自分の作品への感想が欲しいのかも知れない。そう自覚していないとしても、ふいに感想を投げかけられると、内容にもよるけれど、驚きと喜びが同時に与えられるのかも知れない、そんなことを考えた。

実際、僕も不意に感想をいただいてとてもうれしかったし、なんだか分からないけれど、これって僕のことですよね!?みたいな驚きが駆け巡った。

本来の感想文というのは、とても理想的発想で語るところの「読んだら思いがあふれて書かずにはいられない」というものだ。

しかし、現実的にそのような状況になることは少なく、(作品がとても良いものであっても、書き手がとても優秀であっても、めったに起らない現象・・という意味である)「書かねばならないので、どうにか読んでみる」とか、「読みたい本を読んでみて、なんとか感想文をひねる」のような展開だろう。

読書法の解説を読んでいたりすると、よく見かけるのが「アウトプットする読書」であり、これは、読んだ本の内容を誰かに説明したり、感想を書いたりする、というものである。

アウトプットのためには、インプットが必要であり、インプットのためには・・・、と、またしても読み手の気持ちを削ってしまうこともあろう。

冒頭で、自分の作品が思うように書けなかったことに対する反動、と書いたけれど、それはつまり「何か書きたい」→「感想文を書きたい」につながっていったのかも知れない。

だから、おそるおそるつぶやきを投稿してみたりしたし、応援期間の1週間には毎日のように感想文を投稿した。

スキの数や日頃の交流度合いなど関係なしに、感想文を書きたいという思いだけで、思いつく方々のページに飛んで、応募作を探して読んだりもした。

書き始めたとき、10本書ければいいか、と考えていたのだが、応援期間が終わるまでやってみようと思い、読んでは書いて、書いては読んだ。

書き上げてしまうと、推敲もそこそこに投稿したので、不定期な更新になった。読み手のみなさんの時間を不意に分けていただいて、その節は、お世話になりました。

感想文をきっかけに作品に飛んでもらうのが、目的の一つでもあったのだが、時間は有限であるし、感想文だけでお腹いっぱい、という感じになってしまったかも知れない。

作品を読みながら、自分のことを重ねてみたり、物語の中の人物と周囲の友人を重ねてみたりした。それが感想文に反映されているエッセイふうの記述につながっている。

ふだん、小説を読んでいるときにも同じことをしているのだが、文庫本1冊は結構時間がかかる。忘れてしまうのだ。

とりわけ、今回はそのような長編を読むことはなかったので、読み切ることができたし、場合によっては2回、3回と読み返したりした。この作品で、どんなことを思い出すかな・・と読み始めるのもまた、僕の楽しみの一つになった。

応援期間は、育休が終わって職場復帰したこともあって、思うように時間が取れないこともあったけれど、noteで自分がやりたいことを認識できる時期でもあった。

自分勝手な思いで感想文を書きたいと思い立ち、誰かの作品を「感想を書くために」読み、そしてそれを投稿して作者やフォローしてくださっている方に読んでもらうこと、これもまた読み手がいないとできなかったことだ。

作者だけに届けばいいかというと、そうでもないし、誰でも読んでほしいかというと、それも違う。今回何本も書いた感想文は、ちょっと不思議な熱量を持っていたように感じた。

相変わらず何が言いたいのか、何を書いたのかよくわからない文章でもあったけれど、そのほとんどが作品を読んですぐに書いたものだ。

書いている途中で分からなくなれば作品に戻ったし、積極的なネタバレ防止も考えることなく、書きたいことを書いてしまった。感想文によっては、作品を要約してしまったようなものもあるかも知れない。

投稿すると、反応が気になって仕方ない。いや、勝手に書いた感想文だから、怒られたって仕方ないけれど、好意的な反応を受け取ることができた。好意的どころか、宝物とまで言っていただけることに驚いてしまった。やはり、自分の作品を読んでくれたこと、そして感想を言葉にしてくれたことは、作者としては嬉しいのだ。それに、書くとそこに残っていることも大きな要因だと思う。

一人一人の反応が嬉しくて、どうしても次も書きたくなって、読みたくなる。作者が必ずいるということは届け先が絶対にあるということだ。良くも悪くも、目の前の文章を作った人と、読む人の間には違いがあるし、それが読むことと書くことのよさでもある。

書きたいから、読みたくなる・・これは、創作大賞の新しい楽しみ方かも知れない。


感想文も拙作も、マガジンに入れてあります。


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