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演奏家

(開演のブザー)

客席が、さっと静まる。

ここは、東京都の蒼月ホール。

カツ、カツ、カツ、カツ。

メトロノームのように正確なリズムを刻み、男が歩いてきた。舞台で艶めくスタインウェイに微笑みかけながら。

ペコリ。

音がしそうなくらいコミカルな動きで挨拶をすると、激しい雨のように拍手が起こる。

ザザザザー。

男がスタインウェイに手を触れ、椅子に腰かける。ふっと息を吐いて、タキシードの袖をまくり、髪に手を遣る。

ゴクリ。

今度は客席からの音だ。観客は、最初の音を絶対に聞き漏らすまいと、意識を集中していた。

この日のために、この音楽のために、男は生きてきた。それには多くの犠牲もあった。それでも、男は冷静だった。

男のたくらみは、観客には気取られてはならなかった。コンサートの主催者にさえ、打ち明けなかった。

男の両手が静かに上がり、指先を鍵盤に優しく着地させた。

・・・・・・

新しい音楽の萌芽。

ジョン・ケージの、4分33秒。


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