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読むことは、撫でること #書もつ

読み始めてすぐに、あぁ、これは僕が読みたかった本かもしれない、なんて思った。言葉のうまさや、視点の面白さではなく、この書き手が紹介している情景に、僕も何度も出会ったことがあったと、懐かしささえ感じてしまったからだった。

初めて読む本なのに、何か思い出すような、昔から知っていたような気分になるのは、元々自分の中に”あった”からなのだ。

思い悩んでたった一冊の本を探し当てたとき、ふらりと寄って見るはずじゃなかった棚に見つけた一冊、大切な人から紹介してもらった一冊、どんな一冊にも多かれ少なかれ、自分の記憶が呼び起こされるのかも知れない。

それを読むたび思い出す
三宅香帆

古本屋で見つけたエッセイ。筆者は、書評家として昨今話題にのぼる人であった。

奇しくも、noteの創作大賞の応募期間である。昨年は脇役的な立ち位置だったベストレビュアー賞が、今年は正式な賞として他の賞に並んで紹介されていた。

ベストレビュアー賞がほしい!という声をいくつか見聞きしたので、昨年の受賞者として恩返しのつもりで、記事を書いた。

書いてしまうと、緊張感というか手の内を明かしてしまったというちょっとした焦りもあった。(有料御免)

感想文を書くと、書き手と読み手というつながりから、さらに深まるような気持ちがする。僕は基本的にこういう文体でもあるし、相手には事前に何も伝えない。

それは、期待されるのが怖いからだ。さらに、自分の解釈に自信がない。でも書いてみたら、絶対に楽しいだろうと思って書き続けている。


この筆者のエッセイは、よくあるエッセイとは一線を画している。うまく説明ができないけれど、文章が濃い、そんな感じだ。

書評家の書くエッセイなのだから、やはり本のことかというと、自分自身のことを本に絡めて書かれていた。心情も景色も、そして感想も、細かくふつふつと湧き出るような文章だった。

きっと言葉を大事にしているし、ご自分を大切にされているのだろう。


自分の何か大切な、コンプレックスともアイデンティティとも断言したくない、うまく言えないけれど手触りのある記憶がそこにある。

p22 ついイオンに入ってしまう

地方や田舎ってなんだろう、と考える筆者。地方というのは、筆者の出身地であり、都会ではない場所だ。

僕は神奈川県で生まれて、東京で暮らしているから、地方へのイメージが良くも悪くもある。それとは違う、生まれ育った場所への愛着というか恩義のような感情を抱いてみたいと思うことがある。

ただ、それはうまく言えないものだという感覚もまた、羨ましいのである。


風景は変わる。人も変わる。自分も変わっていくなかで、好きなものを手放さないことや、何か大切なものを握りしめておくことは、意外と、難しい。

p150  幸福な記憶

何かを好きでい続けることは意外と難しい。筆者はずっと本が好きでい続けたいと思っただけではなく、積極的に行動していたのかも知れない。

筆者が思い浮かべるのは、本がぎっしり詰まった本棚だとあった。幸せな光景は、本がそこにあること、本が応えてくれることだと続く。

お金や時間を言い訳にして、好きなものを忘れてしまう(あるいは忘れたフリをする)ことは、余程気をつけていないと慣れてしまうのかも知れない。

好きなものがあること、そしてそれを堂々と書けるこのnoteという場があってよかった。


読むことで、自分の中にある記憶が見つかる。それを優しく撫でてあげるような体験こそ、読書の醍醐味だと思う。思いがけず、筆者が書いてくれた情景は、僕が言葉にできなかった「癒される」ことの姿なのかもしれない。

ストレッチをしている、うさぎとクマが可愛いですね。infocusさんサムネイルありがとうございます!


#推薦図書 #エッセイを読む #記憶



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