光を分かつ #書もつ
偶々、そんな出会い方をする作品は、期待こそあれどんな作品かイメージもなく、真っ白な紙が少しずつ色が乗っていくような印象になるものです。初めましての作家だと、なおさら。
毎週木曜日には、読んだ本のことを書いています。
家族から受け取った紙袋に入っていた何冊かの文庫本。半分くらいは僕が貸していた本、もう半分は貸し出してくれた本。そこにこの作品がありました。
初めて見た作者名と、いまと反対の季節のタイトル。読み始めてみると、描かれていたのは純粋な少年たちでした。
プリズムの夏
関口尚
夏とか映画とか、そして恋とか、高校生を描くときの部品としてはよくあるものだったけれど、ありふれた物語ではなかった、というのが読み終わった感想でした。
生活を描く物語は、書かれた時期の社会的な状況が反映されていることが多く、読みながら懐かしさを感じてしまう場面もありました。ただ、高校生たちが純粋で、というか純朴でホッとします。
インターネットが広まって、さまざまなブログサービスが始まっていた時期、物語にもブログが登場します。ブログ主は、実はあの人ではないか・・そんな思いから始まる緊張感のまま、物語は走っていくのでした。
ブログを書いているのが誰かわからないからこそ、読み手は無責任に読むのをやめたりできます。2人の人物がそれぞれの理由から、読み続ける側と、読むのをやめてしまう側にいるのは、ちょっと安心しました。
読みながら、友情という言葉の意味について考えていました。仲が良い、刺激し合う、認め合う、そんな美しい関係とは別に、ある意味では自分とは違うという諦めも持ち合わせているのかもと感じるのです。
自分が渦中の年齢の時には、展開が早過ぎて理解ができなかったことでも、こうして小説を読んでいると、ふと、あれは諦めだったなと思える場面が浮かんだりするのです。
なぜ、これを書いたのか、もしかしたら作者は、誰かを救えなかったという後悔のような思いがあるのかも知れないと思いました。
今でこそ多くの情報が得られる社会にあって、目の前の人間の見えない部分を想像することの大切さを知りました。
タイトルにあるプリズム、理科の実験などで目にした光を構成している色が分かれている状況が思い浮かびます。
夏というひとつの季節でも、熱い赤、眩しい黄色、冷たい青があるように、彼らの様々な面を一緒に見られたような作品でした。
一面だけが、その人ではないこと、夏という季節そのものがプリズムのように彼らを見せてくれたのだと、そう思います。
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