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旅にもつ2020・2019

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旅する日本語2020、2019のために書いたもの。初めてのショートストーリーの創作。
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記事一覧

帰り道

シートに座り、"カチャリ"とベルトを締めて、イヤホンを着ける。離陸のアナウンスの後、機体が細かく揺れながら浮上していく。窓からの景色が水平になって、あの独特な音が聞こえたとき、「あぁ、良かった」と、旅の終わりを感じる。いつも同じだ。 行くべき場所がもっとあったかも。 心残りがあったはずだけど、離陸後にはいつだって思い出せなくなる。 ひとりでも、友人や家族が一緒でも、その気持ちが変わらないのは、帰る場所があるから。旅に出て、帰りたい・・なんて変だと思われるだろうけど、 僕が

ライブ・ランドリー

まいにち、たとえ旅行中であっても、洗濯をしている。とはいえ、実際に洗うのは洗濯機であり、乾かすのは太陽ないし、空気である。着て、汚して、脱いで、洗濯機に入れて、出して、干す。これらの作業が人間の役割。 僕だけかも知れないが、洗濯物は、家族の日々の営みを語ってくれる存在だと思う。 何を着たのか、好きな服だとか、着替えたかどうか、サイズが合わなくなってきたとか。 わずかな時間だが感じ取れることがある。「あぁ、昨日も家族は元気に過ごしていたんだ」と安心することができる。「干す」

二度目の春

感嘆の声を上げ、息をのみました。 ここに来るまでに何度も見てきたはずなのに、圧倒される致景でした。闇のなか、強めの明かりに照らされた桜が、真っ白に視界を埋め尽くしました。 京都の春がこんなにも綺麗だとは。 休みが合わない友人と、なんとかやりくりして行った京都でした。社会人になって一年が経ち、繁忙期と呼ばれる季節を経験した僕らは、身も心もヘトヘトの状態だったのです。 前日に友人からメールが来て、休みが合うことがわかり慌てて決めた旅程。準備らしいこともせず新幹線に乗り、着い

手書き

もらうと嬉しい年賀状。かくいう自分は、すっかり体たらくになってしまった。お世話になった人はとっても多いはずだけど、両手と両足で数える程度の枚数をしたためるのが、昨今である。 高校生の頃、後輩からもらった年賀状が、いまだに強く心に残っている。干支が描かれた紙面に、手書きのあいさつがあった。 「あけましておめでとうございます 今年もよろしくお願い申し上げます」 普通のあいさつだった。でも、ひとめ見て、違和感というか何か引っ掛かる感じがした。改めて見つめ直すと、字が緊張してい

しろのいぬ

犬を飼ったことがある。 真っ白な雑種で、地域の動物愛護センターからもらい受けた。こんな書き方だと、動物愛護に関心があるようだけれど、残念ながら違う。僕ら子どもたちによる長年の要望と、何度も検討した結果、コストがかからないという理由で、譲渡会に顔を出したというだけだ。 その子は、乗りものに酔いやすく、あまり吠えもせず、病院も怖がるし、シャンプーも苦手、弱いというか、しっかり生きられるのか心配な犬だった。 ただ、犬を飼うのが初めてだった僕たち家族は、手のかけ方を知らなかった

春の散歩

子どもが体調を崩し、保育園を休ませたときのこと。本人はいたって元気そうだけど、高熱が出た翌日は、休ませることが園の決まりだった。 歩きはじめたくらいの子どもを、ベビーカーに乗せてでかけた。桜並木がきれいな川沿いに向けて、のんびりと歩く。数日ぶりに綺麗に晴れて、ぽかぽかと温かい。昔の日本語では「和煦」と言うらしい。 桜が満開だったのは数日前で、残っている花は少なかった。ときおり上を見上げながら、でこぼこした道を注意して進んでいく。目に入る景色のことを、少しづつ話していると、

世界の避暑地

うだるような暑さの市街から、高地へ飛んだ。富士山の8合目ほどの標高にある空港は肌寒い。テレビや写真で見て以来、ずっと行きたかった世界遺産が、すぐそこにあった。 青く美しい湖が点在する九寨溝、奇跡的な造形美が広がる黄龍。 そのどれもが自然によって作られたことが信じられないほど、いやむしろ自然にしか作り出せないと思える景色に驚嘆した。規模の大きさや色など、写真では到底収まらない迫力に圧倒され、この目に焼き付けることができて感激しながら歩いた。 景色や移動手段に気を取られてい

一目涼然

新幹線が開通して、人気が高まる金沢。 旅人の玄関口、金沢駅も観光名所であり、訪れるたびに華やかさに心が躍る。 光あふれる構内を歩くと、30数年前の景色を思い出す。夏休み、祖父母に会うべく特急列車に何時間も乗って金沢に着いて、うす暗い構内を父と歩いていた。駅にはエアコンが設置されてなかったためか、蒸し暑かった。 ふと、見慣れない光を感じた。 通路の両脇に、大きなティッシュ箱を立てたようにガラスの塊が台に乗っている。えっ、えっ?キョロキョロする僕に、父が笑った。 「あれは氷だ

朝の太陽

梅雨の前、夏みたいな陽気が続く時期に、僕の誕生日がある。お気に入りのカフェで、期間限定の特製トマトジュースが始まるのも、この時期。 トマトは、真っ赤でまんまる。六月柿と書くらしい。子どもが絵に描く、太陽のような野菜だ。その太陽をいくつも使ってジュースを作り、ゆっくり、力を込めて、ごくごくと飲むのが気持ちいい。 誕生日のあさ、リビングのテーブルの上には、目の覚めるような赤いジュースがあった。てっぺんには輪切りのトマト。 妻が、台所で洗い物をしている。前夜のこと、真っ赤なト

たびのことわざ

夏休みは家族で、祖母の住む九州の離島に行くことにした。飛行機を乗り継ぐ旅は、小さな子どもがいると緊張感がある。娘は、海のある島の風景が忘れられないのか、絶対に海に行きたい、なんて言っていた。 出発が近づいた日、妻の具合が悪くなってしまった。数日の入院が決まり、その後に予定していた旅行はどうするか、迷った。また来年、行けばいいんじゃないかな。意思を確認したくて、娘に聞いてみた。 娘の決断は「お母さん来れなくても、行きたい!」だった。実は、母親が数日間そばにいないことは、まだ

かみさまの森

飛行機と船で、およそ半日。さらに、翌日の早朝からの登山3時間余り。太古の命が目の前に姿を現したとき、なぜか安堵していました。雨に煙る森の中で、自分の呼吸と雨音だけが聞こえていました。 屋久島の自然、その象徴でもある縄文杉への旅は、憧れのひとつ。世界遺産を目の当たりにするという幸せだけでなく、緑深い神秘的な森を歩くと、呼吸とともに体が浄化されるように感じるのです。 速足で登ってきたせいか、縄文杉を仰ぎ見るための展望台には、僕らのほかには誰もおらず静かでした。やっと出会えた縄

君の髪

きみのショートヘアーが、恋しい。 若いパティシエは、美しい恋人のブロンドの髪を想った。緩やかなカーブに、艷やかな色、ふわふと弾む毛先の感触が、彼の指に蘇る。 勤めているキャフェでは、新作ケーキの試作が始まっていて、多忙を極めていた。恋人はおろか、自分の顔を鏡で見る余裕もないくらい、一日中厨房にいる。 クリーム、フルーツ、チョコ、色々試してみるが、なかなか見つからない。求めているケーキは、こんなのじゃない。 ふうっと息をついた刹那、よろけて背後のテーブルにぶつかる。カラ

仏和食

作り手の特権、なんて言葉がある。 余った材料を食べたり、焼き立てを味見したり。 いまも、具をおかずのように食べてしまった。 とにかく美味しい瞬間に立ち会って、いや、その瞬間を作り出しているんだ。 あんまり他人には言ったことがないけれど、僕はキッシュを焼くのが好きだ。 得意ではなく、好きなのだ。 毎回、具も味も見た目すら変わる。 それはキッシュが家庭料理だからだ。 フランス生まれだから、フランス料理なのかもしれないけど、まさかキッシュになす味噌炒めが入ってるなん

しらせ

冗談のつもりで、植木鉢に種を植えてみた。 種は、きみがとても喜んでくれた、奈良県で穫れた甘い柿の種を洗って。 種なしが増えてきたけれど、あの柔らかい実に、しっかり違和感がある方が、面倒くさいけど、僕は好きなんだ。 子どもの頃の僕は、種が育って大きくなって実ができれば、食べ放題になると思ってた。 でも、種を植えたことはなくて、結局、農家や山じゃなきゃ育たないことを知ってしまったのだけど。 ベランダに置いて、冬を越した。 春になっても芽が出なければ、忘れてしまうところ