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SNSを知らなかった頃、私たちは何をして楽しんでいただろう

朝起きてSNSを見る、通勤中の電車の中でSNSを見る、お昼休みにSNSを見る、外出先で素敵な景色や思い出をSNSに載せる、夜寝る前にSNSを見る。

この時代、私たちの生活にSNSは欠かせないものになっている。
中には、あまりSNSはやりませんという人もいるかもしれないが、そういう人の方が少ないのではないだろうか。SNSを仕事にしている人だっているくらいの時代だ。
ふと、今の時代SNSがなかったらどうなっているだろうと思うことがある。
いや、というよりも、私たちがSNSを知らなかった時代(そこまで普及していなかった時代)、私たちは何をして日常を楽しんでいただろうか。

私がSNSを始めたのは高校生になってからだ。
周りには中学生のうちからSNSをやっている人もいたが、私の家庭は割と厳しめだったためSNSをやれるものを購入させてもらえたのは高校生になってからだった。
当たり前に写真を撮ってはSNSに載せ、他の人が今何をしているか、どこに行ったか、誰と付き合っているかも全てSNSを見ればわかってしまう世界に、一瞬にして飛び込んでいった。

SNSを初めてからどんなことがあっただろうか。
いい面もあれば、悪い面もある。
好きな人が他の誰かと一緒に遊んでいることを不覚にも知ってしまい、勝手に落ち込んではその子に嫉妬したり、誰かの何気ないツイートを見て自分のことかと思ってしまい怖くなったり、いいね数やフォロワー数といった数字だけで人気が分かれたり。
その反面、同じ興味・趣味を持つ人と繋がることができたり、好きな芸能人のオフショットを見ることができたり、自由に個性を発信することができたり。

外に出ると、子供ではなくスマホに夢中なお母さんや、建物の壁にスマホを立てかけて踊っている女子高生、歩きスマホをしながら突進してくる人。

SNSは本当に人々の生活の一部になってしまっている。

もちろん、SNSによって世界が広がることや救われることもある。
私もこうして自分の価値観をシェアできること、誰かへ言葉を届けることができることはSNSがなければできなかったことかもしれない。
だからSNSの普及には感謝している。

だが、SNSに生活を操られないことは重要だと感じる。

SNSを知らなかった時代、私は何をして楽しんでいたか。
公園に行って近所の人たちと戯れたり、川で魚を追いかけたり、シロツメクサを冠にしたり、母の料理を手伝ったり、学校で友達と週末遊ぶ約束をしてそのまま待ち合わせをしたり、父と一緒に飛行機ごっこをしたり、弟と一緒に病院ごっこをしたり。

今の幼い子たちは何をしている時が楽しいと感じているだろうか。
中には、幼い頃からYouTubeを当たり前に見て育っている子もいるんだろうな。

この前ふと思ったんだ。
デジタルデトックスをしている時って、心から楽しんでいるなと。
海で魚がかかるまでぼーっと釣り竿を垂らしている時、パートナーと仕事や将来について語っている時、学生に戻ったかのように体育館でスポーツをしている時、実験のように料理をしている時、散歩をしている時。
そんな時は、SNSと離れている。
その時の私は、心からその時間を楽しんでいる。

遊ぶといえばゲームやSNSに載せるための映え写真を撮っている人がいたら、ぜひ外に出て走り回ってみてほしい。そんな体力使いたくないという人は散歩でもいい。友人と何時間も他愛もないことで討論しあっててもいい。
片手で見える世界だけでなく、今自分の目の前に広がっている景色を、自分の五感でしか感じることのできない世界を見ることを忘れないようにしたい。
今、この瞬間でしか見れないものを見逃さないようにしたい。

最後に信じられるのは、自分が自分の目で本当に見たもの・耳で聞いたもの・経験したこと。

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