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死ぬ前に今まで何があったのか書くから見てくれないか?

おはこんばんにちわ!もなカスです!
本記事は友達に「もなカスの人生書籍化できそう」と言われたので書いてみました!
正直ありきたりな人生ですが、暇つぶしにでもどうぞ!

(本記事にはショッキングな表現が含まれています。ご注意ください。)

1 もなカス

2004年 9月11日 大阪府のとある家に3兄妹の末っ子として生まれる。
幼い頃より両親は共働きで多忙だったので小さい頃は母方の祖母に育てられた。(同じ家には住んでたぞ)
幼い頃からずっとまわりから「変わってる」と言われる子供だった。

2 家族

私は小学校を卒業するまであまり母と会話をしたことがなかった
もちろん母だけでなく父もだが…
兄や姉も私と会話をすることはなくたまに罵ってくるだけだった。
私は基本祖母しか話相手がいなかった。
だから家族相手に人見知りをするというまぁまぁレアな状態だった。

3 小学校

正直楽しい思い出は何一つない。
私は小学校三年生後半から卒業まであまり学校に行っていなかった
なぜなら、担任やクラスメイトらに虐められていたからだ。

理由は至極単純で『勉強ができなかった』からである。
(あとたぶん普通に問題児だからかも)

担任にみんなの前で酷く怒鳴られたり、机を一人だけ黒板の前に持って行って晒し上げたり…
小学生なんて担任が絶対の世界である。

クラスメイトが私を虐めるようになるまでさほど時間もかからなかった。
上靴に画鋲、作った作品を破壊される、着替え、トイレを覗かれる。
水をかけられる。etc...
唯一仲良くしてくれた女の子も結局は私を虐めるために近付いたのだろう。

3−1 暗黒引きこもり時代

私の親は学校を休むのをよしとはしなかった。
休んだことがバレると母に大声で怒鳴られた。正直、虐められたことよりも関わりが薄かったとはいえ肉親に見捨てられたことの方がつらかった。

兄や姉も私を見る度に「ニート」「穀潰し」「出来損ない」と罵った。

親や兄妹が家にいない昼間はただベッドの上でボーッと過ごした。
親の車のエンジン音が聞こえる度に過呼吸になって汗や涙がとまらなくなった。
親が帰ってくる夜はひたすら自室に籠り布団をかぶって震えていた

4 中学校

中学校は親の命によりとなりの市の『ド底辺ヤンキー中学校』に通っていた。
そこでは校則にも、なににも縛られず生きている自由人()が死ぬほど多かった。
私は3年間全く(たまにはした)授業を受けずひたすらに絵を描いた
最初は注意してきた先生も次第に
「おう!何描いてるん?」なんて言ってきた。今思えば不思議な学校だ。

中3になってひとりの男の子と仲良くなった

5 彼は

彼は3年間ほぼ中学校に来なかった。
私は放課後たまにくる彼と仲良くなった。

色々な話をした。趣味や、自分たちの考え、たまにイタズラもしかけた。
すごく楽しかった。

私は過去虐められたことや親との関係、じつは学校に行きたくないこと…色々な相談をした

すると彼は児童相談所や市役所、スクールカウンセラー…色々な所に連れて行ってくれた。
私は素直に彼のいうことに従った

ある日、彼の母親が私の家に深夜2:00頃電話をかけてきたのである。
彼はわたしの悩みを無断で母親に話し、彼の母は深夜に私の母に私の悩みを話した
そして彼の母は話し合いを提案
私はそれを拒否した

当然、私は彼を問い詰めた。
すると彼はなぜかキレはじめ、彼の持病も私のせいだと言った。
(自分で書いててもわけわからん)

今思うと彼は、自分を否定しない私が好きだったのだろう
私が彼(と彼の母)の提案を拒否したから怒ったのだろう

6 精神科

例の彼の事件の後、私は精神科に行った。
メンタルが限界だったからである。

自殺未遂がきっかけである。

精神科で色々なテストをうけた。
結果から言うと「ASD」の傾向が強いと診断された。

IQは100で平均だが、記憶や感情に関する感じ方がすこし違うらしい。
例えば記憶に関してなら、半年前に行ったイオンの駐車場の番号を覚えていたり。(情景記憶が得意)

感情に関しては、人がなぜ怒っているのかあまり理解できなかったり
(とくに怒りの感情に関することが多い)

診断されて、あぁ知ってた。
というのが正直な感想である。

7 N高に

悩みはまだまだ尽きないけれど、高校生活は幸せです。
クレイジーで、最高に面白い友達がたくさんいます。

みんなとっても優しいんです。

あれだけ行くのが嫌だった学校に毎日行きたいと思えるのはみんなのおかげです。

ありがとね。




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