今更言うまでもなく、夏だ。
 クーラーが冷気を送り出す「ゴー」といった音に紛れて、ミンミンゼミの声が閉じた窓越しに、くぐもって聞こえる。
 セミの鳴き声を聞くと夏だなと感じると同時に、なんというかノスタルジックな感傷が湧いてくる。

 実家の近くは、今はもう伐採されていたはずだが竹林が川沿いに茫々と生えていた。丁度俺の部屋がその竹林の方を向いた角部屋で、夏に窓を開けると決まってその喧しい爆音が部屋に飛び込んできていた。
 祖父が手入れしている庭木にも大勢のセミが取り付いていて、間を通るときに時折シッコをぶっかけられるのも恒例みたいなものだった。

 そういう風に実際の実家での原体験もあるにはあるのだが、おそらくこの感傷はそちらが源流ではない。
 「ひぐらしのなく頃に 絆」だ。
 知っている人は少ないだろうが、これはそれなりに有名なアニメ「ひぐらしのなく頃に」のDS移植版のノベルゲームである。
 家庭用ゲーム機といえば任天堂switchが主流だが、その任天堂の大昔の携帯ゲーム機。3Dですら無いDSでやっていた覚えがある。確か最初母が買ったからだったか、ゲーム機の色が水色で最後まで気に入らなかった。
 調べてみれば2008~2010年発売らしいので、やはり俺が高校生の頃のゲームだ。(パチンコじゃねぇ)

 言うまでもなく、というわけでもないが、俺にとってひぐらしのなく頃にという作品は原点にして原典。聖書のようなものだ。間違いなく俺という人格形成の根っこにある。
 中学の頃に(進学校だったにも関わらず)体育祭でハレ晴レユカイを踊ってる事に案外アニメも一般に受け入れられているんだと衝撃を受けてアニメを見始め、最初にハルヒ、次にひぐらしを見たと思う。
 親の居ない時間、親のデスクトップパソコン(まだモニターと一体型の奥行のあるやつで、ADSLの時代だ)でこっそり全話見た。何のサイトかは忘れたが、金を払った覚えは無いので当時は溢れていた非合法サイトを使ったのだろう。
 まさしく中二くらいの時に見て衝撃を受けた。当時はまだその衝撃を言葉には出来なかったが。
 それから沢山のアニメを見て、友人からラノベを借りて、物語を読み漁った。
 高校にあがるかあがらないか辺り(中高一貫校だったからエスカレーター)で暗黒期(一番最初に捻くれて世間との乖離に不貞腐れてた時期)を経験してた頃、確かその頃にはPSPを買ってもらっていた。
 当時は俺にとってはPSPが今のスマホみたいなもので、PSP一台でゲームをやったり、音楽を聴いたり、ネット検索をしたり、チャットをしたりしていた。
 そのPSPに入れていた沢山の音楽の中には、自分で集めてきた(これもやっぱり無料で)ひぐらしのなく頃にの歌もあり、その歌詞に心打たれて更にひぐらしに思い入れた。
 人を、友人を信じたい。でも信じれない。あまりにも悲しい事が置き過ぎて、必死で、でも巻き込みたくなくて、守りたくて、一人で背負おうとして、惨劇は加速する。そんなのが100年続いていて、半ば諦めて、達観したつもりになって、でもどこかで奇跡を期待していて。
 そんな時に圭一が言うんだ。
「俺を信じろ任せとけ! 運命なんて俺があっさり打ち破ってやるぜ!」
 勿論、人の強烈な願いによって仕組まれた運命は、そう簡単には変えられない。銃声一つであっさり仲間が倒れて行って、終わる。でも、そこに失意は無かった。あともう一歩、もう一人が力を合わせれば運命は変えられるんだという闘志に火が付いた。
 純粋な悪なんて居なくて、でも自分達の幸せを掴むためにほんの少しずつ互いを信じて協力することで、どうしようもない様に見えた運命の袋小路を打ち破ることが出来る。助けを求めるのではなく、助け合うことで未来を切り開くことこそが、幸せの為に人が出来る事なのだと思わせてくれる。
 そんな物語の内容を切なく、悲痛に、或いはありったけの感謝を込めて歌った歌達に、今でも一瞬で目が潤む。

 その中でも、「ひぐらしのなく頃に 絆」は特別な作品だ。
 オリジナル同様ノベルゲームの形態を取っていて、絵も丁寧で(中学生らしくて)、分岐やTipsがたっぷりあって、外伝作品も入っていて世界が広がるDS版を、毎度古市で予約して買っていた覚えがある。
 そしてそのプレイ中、BGMの代わりに時折挿入される環境音がある。そう、題名の通りセミの鳴き声だ。
 それは夕方のミンミンゼミの時もあれば、夕暮れのひぐらしの時もある。当時からしてもノスタルジックさのある昭和58年6月の田舎を舞台に、楽しくも切ない物語が繰り返し描写されていくのだ。
 これまた知る人ぞ知るPSP版の「ひぐらしのなく頃に デイブレイク」という格ゲー(?)と共に、俺のひぐらし熱を更に確固たるものにした作品だ。

 それが今でも、セミの声を聞くと思い浮かばれる。
 今思えば、そのプレイしていた時が俺にとって最も心の不純物の少ない時間だったのだろう。
 一番楽しかった時期で言えば、大学2、3年くらいの時だ。バイクに乗ってバイトしてTRPGをして。
 でも学校に行く意味とか、部活での問題とか、単位取れてないとか、生活習慣乱れてるとか、そういった心配事や懸念事項が一生ついて回って生きている中で、一番澄んだ心で感動出来た時間がひぐらし絆をやっていた頃なのだ。
 だからこんなにも懐かしさと憧れを感じる。
 29にもなって未だに無職で、頭と口だけで行動の伴わないおっさんとして沢山の曇りが心の3割は常に占めていて。
 ただ純粋にこう在りたいと願えた時の記憶が、懐かしく憧れを感じるのだ。

 俺にとって、夏はそういう季節だ。
 ただし、蝉の声は窓越しに聞くに限るが。(暑い

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