親を殺す

 俺の中には、正反対の性格の二人の人格がいる。

 一人は内向的で、内省的で、他人の事を誰よりも考え実行し、それを相手にも求めるけど応えて貰えず絶望する人格。母。
 一人は外交的で、一般的で、当たり前のことを正しいと考え、実際の所自分の事しか考えてないそれを相手に求める人格。父。

 幼い頃から食卓で、母がヒスって父が酒で聞き流して、食べ終わって自室でゲームに逃げる父を追いかけてまた母が怒鳴るのが日常だった。
 俺はそれに怯えつつも軽蔑し自室に逃げ込んだ。母のヒスは時折にも向いた。「草田運子」と改めて名付けられたこともあった。父と似た部分を持つお前が憎いと泣かれたこともあった。父は仕事とゲームを言い訳に俺からも母からも逃げ続けた。
 大学の頃にそれは変わった。実家を出て身近な危険でなくなり冷静になった俺は、冷静さを失った母を詰った。「お前のせいでこうなったんだ」とブチギレた長文メールを送った。それ以来母は変わった。俺が母の精神を壊し、母は俺に干渉することを恐れるようになった。
 逆に父は今更父親面をするようになった。当たり前をさも当然のように語り、それが正しいと繰り返し俺に言うようになった。自分の経験も交えて感情的に語るその姿は、とても気持ちよさそうでくだらなかった。

 俺の中には正反対の性格の二人の人格がいる。
 理想を叫び、無自覚なエゴを正義面して押し付ける奴らを憎む俺と、現実を生きることを強い、結局人間社会の中で生きてる大多数は「普通」の人達なんだと嘲笑う俺。
 二人は実家を出た今でも俺の中で毎晩喧嘩をし、俺もまたその喧嘩から逃げてゲームをやるようになった。

 どうして二人が結ばれ、俺が産まれる事になったのか、正直理解が出来ない。水と油だろうに、どうして恋愛結婚に至り得るのか。昔軽く馴れ初めを聞いたこともあったがうろ覚えだし、別に今更聞き直したくもないが。
 だが間違いないことは、俺があの二人の子供だということだ。
 遺伝子検査なんてするまでもなく、俺はあの二人の子供なのだと確信できる。俺の持つ殆どの要素が、父母のどちらかが持っている要素なのだ。思考パターン、癖、得意分野、性格。良い部分も悪い部分も、大体の基本パーツが父母のどちらかに共通点として感じる。
 ただ恐ろしいことに、困ったことに、或いは翻って、幸運なことに。俺は二人には無い生きづらさがあった。母ほど自分の世間から乖離した価値観を信じきることは出来ず、父のように世間と合致した価値観を平然と受け入れる事が出来なかった。常にその相反するそれらがいがみ合い、否定しあい、俺を追い込み孤独にした。だがそれ故に深い内省を手に入れられたという事が出来るようになったのなら、それはきっと幸運なことだったと言えるようになるのだろう。

 毒親、という言葉がある。
 比較的安易に使われがちなその言葉の是非を問うつもりは無いが、少なくとも俺はその言葉を俺の両親に当て嵌めるつもりは無い。
 それは単純に俺が子供の時にその言葉が無かったからというのもあるが、一番は別に、俺は両親のことを一人の人間としては然程蔑んでいないからだ。
 色んな事に気付き、気を回し、その奉仕が返ってこないことに絶望して唯一の救いを息子に求めてしまった母も。
 人並みの幸せを築き、平とはいえ誰もが知る会社で長年サラリーマンを勤め上げ、家庭に向き合う余力が無かった父も。
 二人ともそれぞれの人生を一生懸命生きていること自体は疑っていないのだ。一生懸命生き抜いている一個人への敬意は偽りなくある。
 ただ、親としては。

 子が産まれたからと言って、人の人格が大きく変わるわけではない。
 もし立派な親になれる人にしか親になれないというのなら、子を産める人なんて極一握りだろう。だから、醜く愚かで弱い親を、ただ子を産んだからという一点で責めるのは良くないと思う。そんな事を言ってると余計子供が産まれなくて国力が落ちて、俺にとって不利益だ、という意味の良くないだ。
 だが当然だが子にも感情がある。人格がある。人生がある。それを戒める自分がいる一方で、……やはり子として親を憎みたくなる気持ちはどうしても拭えないのだ。少なくとも自分は、自分が人として胸を張れるようになるまでは子を作るべきでないと強く思う程度には。

 俺にとって、親の存在と親への感情は、未だにうまく言語化出来ない。冷静でいられないのだ。憎悪とそれを戒める気持ちでグチャグチャになる。
 でも、まぁ。だからこそ大学入学以降、一年を覗いて実家を避け続けていることは、間違いなく俺にとっては必要な選択だった。そうでなければ、間違いなく俺は自分の人生を模索できなかった。
 今だって俺は生活保護で生活している。実家暮らしではない。それは絶対に、親から距離を置かねばならなかったからだ。親に口を出す口実を与えてはならなかったからだ。親の人生を歩まされたままでは、生きてゆけなかったからだ。

 俺が突然、このような記事を書いているのも、一つの父からのLINEが理由だ。とうとう俺は、父のLINEをブロックした。それは生活保護で生きているから出来たことだ。
 父は飽きもせずただ俺を罵りたいがために、そして「俺は悪くない」と思いたいがために息子にとって益が無い文章を送りつけてくる。俺のnoteを読んでいれば俺が何に躓き何に悩み、何に苦しんでいるかを読み取れるはずだろうに。それをせずただ上から俺を嘲笑って講釈を垂れて、失望を示せば子供のような反論をしてくる。きっと酒を飲んでいるのだろう。そして翌朝少し後悔するのだろう。そしてまた酒を飲んでいる時に我慢ならなくなり送りつけてくるのだろう。もう、疲れた。
 父に対して一人の人間としての敬意があるのに嘘は無い。世の中のお父さん達が必死に家族を支えようと戦ってきた頑張りを、無価値だなんて口が裂けても言えるわけがない。
 でも、父親としては、もう無理だ。ブロックしてからようやく、あれほど失望していたはずの父に対して微かに期待していたことに気付いた。理解し、応援してくれるようになることを。
 父も本当はバカではない。素面の時はそれなりに息子を心配する気持ちや、自分に何が出来るのか、出来たのか思い悩むことも確かにあり、自制する時もあるのだろう。ただ酒を飲むと、我慢がならなくなるのだろう。そして、酒を飲まずに向き合う方法を、忘れてしまったのだろう。それはとても悲しくて、空しいことだ。だがもう、まともな父の為に酔っぱらった父から送られてくるノイズを許容出来ないのだ。出来ないというよりか、邪魔になったのだ。もはや肉親としての情は擦り切れてしまった。それでようやっと、常に自分を嘲笑い続けている自分の中の自分は、父だったのだと気付いた。

 改めて思うと、俺の中での両親からの評価は最低だ。母からは「甘えてる」と言われた言葉が根付いているし、父からは「世間知らずの子供」と嘲笑われている。今の母は違った評価なのかもしれないし、素面の時の父は違った評価なのかもしれない。
 だがそれを母から聞いていない。
 だがそれを父から聞いていない。
 言っていたこともあった。だがその言葉はとても薄っぺらくしか聞こえず、両親からの評価は更新されなかった。あなた達がどう思っていようと、それが俺にとっての真実なんだよ。あなた達の蔑みが、俺の自己評価なんだよ。

 でも、まぁ。
 ようやく受け止められるようになってきた。俺の自己評価はやっぱり今でも両親のものだったのであって、どうにか俺はその両親に認めてもらいたかったのだろうと。
 でも、親も他人だ。親が子の生き方を思い通りに出来ないように、子も親の生き方を思い通りになんて出来ない。
 生活保護を受給することを選んで、あなた達との繋がりを断ったつもりだったけど、まだ見込みが甘かったみたいだ。それだけ本当は、親の影響力というのは偉大なんだろうね。

 だから俺は、あなた達を殺すよ。
 心の中の両親を殺して、自分の人生を生きられるように改めて頑張ってみる。
 だってもう、あなた達に拘っても良いこと無いんだ。いつまで経っても進めない。
 あの人たちはこの文章を読むのだろうか。読んで、何を思うのだろうか。
 それをどうでも良いと言えるほどには整理がついていないけど、どうとでも思えと思う程度には肉親への情は擦り切れた。
 さようなら。

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