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脱・誰にでもできる仕事の瞬間

「誰でもできる仕事、自分じゃなくてもいい仕事をしていること」にモヤモヤしてる人、かなり多いなぁとコーチングをしていて感じます。
私もそうだったなぁと懐かしい気持ちになると同時に、私が初めて仕事で自分の介在価値を実感できた時っていつだっけ、そういえばその瞬間から仕事そのものへの価値観・向き合い方が変わり果てたっけな〜と思い出したので、つらつら書いてみます。


新卒で外資メーカーの営業として入社しましたが、まぁよくできた会社で、成長環境は申し分ないどころか過剰なくらいで、必死に高速上りエスカレーターにしがみついているような日々でした。周りも皆そんな感じだったと思います。
就活で重視されがちな「裁量」も充分で、その上多様性や個人の意志を重んじる方針のおかげで、画一的な兵隊育成に当てはめられている感じもしませんでした。
辞めてから1年以上経つ今でも、本当に良い会社だったなと思います。

ただ一方で、当然のことながら「私がいなくなっても会社は回る」「私の代わりはいくらでもいる」ことはわかっていました。むしろ組織としてはそうでなければいけない。
でもやっぱりちょっと虚しいんですよね。
私だから出せた価値、私がいなければ生まれ得なかったもの、そんなものがあったらどんなに満たされるだろう。
私は必要とされている、私には価値がある、と自分の存在を自分で肯定できそうな気がする。
そんなふうに思っていました。


小さな手応え

5年目という中堅ポジションになった頃、コロナ禍で社員同士のコミュニケーションが希薄になり、あまりよくない心理状況の若手が増えているという組織課題を認識していながらも、自チームの後輩に積極的に声をかけるくらいしかできていませんでした。

そんな時、一冊の本に出会います。
北野唯我さん著『OPENNESS(オープネス)職場の「空気」が結果を決める』の中の一節によると、「リーダーが失敗経験を話すこと」が職場の空気をより良くすることにつながるというのです。

確かに思い当たる節がありました。
新入社員のとき、失敗続きで毎日メンタルが地に堕ちていた私に、自身の失敗談をたくさん披露してくれる先輩がいました。その先輩は社内でも注目のシゴデキ人材だったので、「今こんなに輝いている人も結構やらかしてきたんだなぁ!」と肩の荷が降り、気持ちが軽くなり、私も腐らず前だけ向いて頑張ろう、と思ったものでした。

いつかこんな先輩みたいに失敗談を笑って後輩に伝えられる人になりたい、という小さな夢もでき、それが「もんぬ」の発信活動にもつながっています。

そうして、「神々のように思われているリーダーたちに失敗を曝け出してもらう社内ラジオをやるのはどうか」と営業人事に提案しました。北野さんの本の中のデータを引用したりして、なんとかこの企画を通したい、絶対良いことが起きるはずだから、という強い思いで提案しましたが、あっさり「いいじゃん、やろうやろう」と話が進み、私が退職するまでの半年間で10人ほどのリーダーに失敗を披露していただきました。

社内の連絡ツールであるTeamsを使い、ゲストのリーダーと私がしゃべるというゆるい企画ではありましたが、毎回100人近い社員が聴いてくれました。(若手向けと銘打ってはいましたが、案外ベテランの方も面白がって参加してくれていました笑)
毎回、ラジオ終了後にアンケートをとっていましたが、フリーコメント欄にはいつも「会社が好きになった」とか「リーダーも同じ人間なんだと思えて自分もできることを頑張ろうと思えた」「元気が出た」など、嬉しいコメントが寄せられていました。
ラジオの中でどんな工夫をしていたかなどはVoicyか何かでたらたら話そうと思います。

営業の仕事とは関係のないラジオ企画ではありましたが、私の「なんとか私の介在価値を感じたい」欲を満たすには充分な出来事でした。


再現性を出すとしたら

「その程度のこと」と思う人もいると思いますし、「すごい」と思ってくださる方もいると思います。
ここからはあえて「すごい」と思ってくださる方に照準を合わせて語るのですが、なぜ私がこの企画を成し遂げられたのか、再現性を意識して思い出してみました。

そもそも組織を変えようなんて思わないよ、平社員でしかない自分が何かしても会社は変わらないよ、自分にそんな影響力もなければパワーもないし、組織の全体像が見えてるわけじゃない自分がイケてるアイデアを出せるなんて思えないよ、と思うかもしれません。
私もそう思っていました。
でもじゃあなんで私が数百人の営業組織の中で、マネージャーでもないのに組織課題に首を突っ込もうとしたのか。
また私がこういう行動に出るとしたら、2つの要素が必要だと思いました。
一つはお節介を焼きたくなるほどの組織愛、もう一つは上層部への信頼だと思います。

なんとなく会社の空気が悪くなっているように感じる、現場だからこそ肌で感じる危機感。このままではいけない感じ。でもリーダー層にはこの問題の温度感はリアルに伝わらないだろう、ということは直近、対策が打たれて劇的に何かが良くなるということはないのかも。
現場にいる私には見えていてリーダーには見えていないものがあるのかもしれない。
でも、もし私がリーダーの1人だったらこの問題をどうにかしたいと思うはず。
もし提案が通らなくても、でしゃばりだと噂されたり、ちょっと恥ずかしいだけだから(普通に嫌だけど)。
私が恥をかくことになっても、少しでも組織にとって、会社にとって、目の前の後輩にとって良い結果になるなら、お節介しようじゃないか。
一人の平社員の枠を超えたって別にいいじゃないか。見えてるんだから。問題と、解決の一助になるかもしれない策が。
こんなに会社のことを真剣に考えてる平社員がいること、私がリーダーだったら嬉しいはずだけどな。頼もしいなって思うはずだけどな。
そんなことをぐちゃぐちゃ考えた末、お節介をすることに決めた気がします。

上層部への信頼というのは、「若手の平社員がそういった提案をした時に耳を傾けてくれる人たちだろう、と私がリーダーたち・会社のスタンスを信じていた」という意味です。
これは実は結構素晴らしいことなんじゃないかと思います。
会社や上層部への信頼があったから「提案しよう!」と思いついた勢いのまま突っ込んでいけたということに、退社して半年くらい経ってようやく気がついたくらい、それだけ当然のように「誰の意見も小馬鹿にしない人たちだ」と思えていたので。


変わり果てたスタンス

一度「私がいたから」な瞬間を経験してしまったせいか、私は働くスタンスそのものが変わってしまいました。
私じゃなくてもできそうな仕事にも自分の介在価値を見出そうと、効率化しようとしてみたり、+αの工夫をしてみたり、なんとか今よりも良くできないものかと頭を捻ってみたり。
お節介が加速して、他部署の課題まで真剣に考えてみたり。
経営層でもないのに、経営課題を考えてみたり。
どんどん仕事の主導権を取りに行こうとするというか、手綱を握っておきたくなります。
そして、指示されるのが嫌いになります。笑
ディスカッションは良い。
でも一方的に押し付けられるのは無理。
上司との1on1でさえ、上下のある会話というよりフラットな意見交換の場のように錯覚します。

まるで、将来経営者になることが決まっている人が今ちょっと平社員の研修を受けているかのような。
平社員体験中のような、そういうスタンスになってしまいました。

きっと「誰だよお前」「何様だよ」と思われてきたこともあるんだろうなと思います。
幸い、直接そのようなことを言ってくる人はいなかったので、私はまだお節介でいられています。

思いつくままに書いてはみたけど、あまりまとまっていなくてすみません。笑
何か少しでも面白がってもらえていたら幸いです。
明日からも、思いついたテーマで思うまま書いていこうと思うので、感想などツイート・コメントいただけたら喜びます。

ではまた明日!

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