誰かのためをやめて自分のためをやるとあっという間に愛される♡
わたしずっと恋愛の事を聞いたり勉強したりする、セッションとか講座を受ける自分を他の人より劣っている、恥ずかしいと思っていたんですね。
現に、婚活講座に通っていた時なんて、顔出し出来ませんでした。
周りに恥ずかしいと思われるって思いっきり周りを敵視、意識してたからこそ。
なんかもうそこに行くのは究極も究極、最後の砦みたいな…
結婚できないわたし=劣っていると思っていた
わたしの中で周りのみんなが出来て出来ないことを学んでいるって、出来ない、周りより劣っているだったんですよね。
講座行かなくても普通に恋愛して結婚して幸せに暮らしてる人もいるのに!と。
なんだけど今思えば、わたしは恋愛や結婚で悩んだけど、そういう人たちはそういう人達で、他のところで悩んでいたりするわけで、結婚出来てるわたしは不幸とか劣っているとか、それで自分を不幸認定する必要なんてなかったんですよね。
結婚している人=偉い、正解になってたんです。
だから、この上に書いた世界でいる限り、わたしにとって
恋愛を学んでいる=自分自身を否定し続ける
だったのです(無意識)
恥ずかしいと思っていたから、最後の砦みたいにしてたけど、最後にする必要なんてなかったんです。
いまやわたし自身、クライアントさん、彼、家族…と、受け続けることで、わたしの周りの人達にも良い影響を与えられると感じるから多分死ぬまで受け続けると思います。笑
なんか最近立て続けに講座生さんが劣等生ですいません、、とか、こんな頑固な生徒いますか?みたいなことを言うもんだから、わたしも思ってたなと気づいたんですが笑
義務教育でもない学びを学ぶのは何のため?
クライアントさんから言われる度にすんごい違和感でした。
だってわたしはクライアントさん達のことをこれまで一度も出来ていない、とか、まだまだ足りないと思ったことがないんです。
これだけ真剣に向き合ってるんだから、幸せにならないわけないなーとか、この人たち自分を究極に愛せているなとか見ていてほっこりするほど。
だって結婚してから悩むよりは、今から悩んでいた方が良いなとわたしは思うから。
結局のところ、今やっているその行動は何のため?誰のため?というところが大事かなと。
こんなにお金使ってるのに変わらないじゃん!
こんなに頑張ってるのになんでいつもこうなの?
という言葉は自分のことを考えて、自分のためにやっていたら出てこないはずなんですよね。
講座に行っても変わる人、変わらない人がいるのも常に「わたしはどうしたい?」を考えて行動できている人とそうじゃない人の違いかなと思います。
わたしが過去講座行っても変わらなかったのはどこまで行っても他人のため、自分のためというより周りからわたしはどう見えるか?という周りを気にしてばかりいたからだと思うんですよね。
これやったら彼が変わるかな?
これやった方が上手くいくかな?
という、わたしの気持ちは置いてきぼりの他人の目を気にした行動。
最近わたしのところに来てくれるクライアントさんは、コースや講座が終わっても引き続き継続セッションを受け続けてくれている人が多いんです。
なんでかなと思っていたのですが、何のためにやるのか?誰のためにやるのか?が明確で、主体的に自分の人生を考えられる総指揮総監督になれているからなんだろうなぁと思います(さすがわたしのクライアントさん!自画自賛w)
自分の不完全さを許そう!降参しよう!
話が思いっきりズレましたが、愛されたいのであれば、自分の足りないところ(足りないところというより自分が足りないと思っているところなんだけど分かりやすくこの表現を使います)を許すこと。
わたしはいまだに彼に対して感情を丸出ししてしまう自分に対してイラッとしますが…笑
でもですよ、よくよく考えてみて欲しいのですが人ってロボットじゃありません。
どんなに完璧に見える人でも、恋愛で悩んだり、その他のところで悩んだりします。
自分だけが周りと比べて劣っていると思っているならそれは違います。
今すぐ捨ててくださいね!
不完全だと思ってる
負けてると思ってる
自分を許すこと、そして何のためにそれをやるのか?を忘れずに♡
講座やセッションに行ってみたいけれど恥ずかしいと思っている方の参考になれば幸いです^^
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