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日本と海外で差別の温度差が違う

ここ最近、アメリカをきっかけとして黒人差別反対運動が少し過激化していましたね。といっても、それだけではなく日本でもクルド人に関するものもあったかと思います。

そういう一連の流れを見ていてふと思いました。

日本での”差別”という概念と、アメリカを含む西洋での”差別”という概念は少し違うのではないか、と。

アメリカの”差別”とは、必ず暴力を伴うものなのではないかと思ったんです。日本だと、単純に無視をしたり陰で除け者にするという感じに近い。

私たちはどうしても、自分の属している世界の常識で物事を見てしまう癖がありますよね。なので、あらゆる世界情勢に直面した時に真っ先に日本の常識を土台として想像を広げてしまいがちです。

しかし、違うんですよね。

海外のニュースを考える時に、必ずその国の歴史や文化を鑑みて捉えないと完全に事態を飲み込めなかったりします。

まあ、海外に限らないですがこれは。日本国内でも所変われば常識は変わりますし、なんなら今の日本と平安時代の常識だって全く違うでしょう。

そういう認識のすれ違いや、誤差が不寛容や偏見をうんだりしてしまうのかもしれませんね。

私は個人的に、日本は常に何をするにもやり方が”陰湿さ”がある気はしますが(別に攻撃的な意味はありません)。それが日本の中での差別の認識となっている感じがしますね。

良くも悪くもアメリカは自己主張の国ですからね。大きな声を上げたものに注目が集まるが故なのかもしれません。


では今日もありがとうございました。

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