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知ることの大切さ 1

介護をするにあたってお互いのことを知ること
理解することが大切だなと思います。

母のことが大嫌いだった16年

昔から母娘仲が良かったと思われがちですが
私の反抗期は小学3年から24歳頃まで続きました。

母親が本当に嫌いで
母との関係に距離を置きたくて
実家を離れました

ママさんはいわゆる過保護、毒親?で心配性
私が友達と遊びに行くのですらいい顔をしないし
何をやるのも心配でやめときという人
私ができることも率先して全て母がやってしまうのです。

自分の概念以外はなかったし
どう考えたって理不尽な意見でも私はわたしと押し通す人(笑)

手も挙げられるし、お箸もとんできました(笑)
生理前は鬼のようでした。

だから最後の方は反抗の言葉以外会話した覚えがないのです

母との関係が変わったのは25歳の頃

ルームシェアしていた大親友が毎日母親と電話していて
口調が友達みたいな感じで
衝撃が走りました
親とは仲良くないものだと思いこんでいて
母親とこんなに楽しそうに話す人がいるのかと

今の関係になれたのは彼女のおかげです

丁度親と離れたことによってありがたみも感じていたし
それから少しずつ私も母と話すようになっていって
そして27歳の頃保育士の国家資格の受験をし
その時の発達心理学という科目でまたまた衝撃を受けました。

心理学の中に書かれていた母の葛藤

そこには母親が陥る心理的な問題や原因などが書かれていて
私の母のことがそのまま書かれていたのです

子育てに関する不安や、
他に助けてもらえる人がいない怖さや
そして大嫌いだった母親が何故あんな感じだったのかという
答えのようなものが沢山のっていました。


ママさんの親を含め周りに手伝ったり
相談できる人はほとんどいない
父親もほとんど子育てには参加していなかった気がする
今考えればひどい生理痛の持ち主だったし
産後鬱もある
母親も辛かったのです。

人生年表で知った母の壮絶な人生

そして私は何かの本で読んだ人生を年表にするというものを
母親で作ってみたのです。

今まで母親や、他の母親を知っている人からかじり聞きしたことをずらーっと書き並べました。なんとなく知っていたけれど
書き出すことで改めて認識をして
書き終わったあと愕然としました

なんてなんて壮絶な人生だったのだろうと

彼女は父親を知らないし
母親にも子育てを放棄されている
弟も貰われていったし

幼い頃の彼女はどれだけ傷ついてきたのだろう?
二親がいて家があってぬくぬくと育った私には想像を絶するものでした

その上大人になって不妊で当時の姑からもかなり言われていたようだし
やっとできた子どもが生まれてすぐ亡くなり1週間教えてもらえなかった
(落ち着くまで待ったらしい)

とつきとおか、お腹にいた子ども、生まれた子どもが
いないと知った日
考えただけでも涙が出て。

そして放棄した母の面倒をみないといけなくなりました
(だから母はおばちゃんにいつも怒っていて
私もそれが普通といつも母に怒っていました)

正しい愛のかけ方を知らないだけ
だから私達にもちょっとゆがんでいたのです。

お互いを知るということ

そしてそれをもとに
私は母と話し合いました。
今までどれだけ私が辛くて、嫌だと思ったか
全て吐き出した。
そしてそれ以上にお母さんがこんなにつらい思いをして
私達を育ててくれたことの凄さとありがとうと

母は、そうかそこまで傷つけてごめんなと
二人で謝り大泣きした日

それに気づいた日から私も随分変わった気がします

そしてそれとともに母親が怒ることもなくなりました。
実はとっても楽しくて面白くて可愛い人だった。
知らなかった。
きっとお互いのいいところを引き出せず悪いところ
ばかりを引き出しあいをしていたのだと思います。

怒るというのは知らないからで
同じ行動でも知ると随分違ってくる

これは人間関係に対してもそうなのかなと思います
相手が何故そうしたかわからないから
腹が立つ
改めて私はこう思ってこうやってるなんて
一々言わないけれど
大切な人と噛み合わない時は何故そうなったかを
ちゃんと聞ければ、あー、考えてくれていたんだよね、
あー、ごめん私の思い過ごしだったね
そんなに辛いことが合ったんだね、そんなときにごめんねなど
自分捉え方も変わる気がします

怒りや不安はほっとけば勝手にモクモクと膨らむ。

もしいまどうしても親が許せない
それでも介護をしないといけず辛いと思われる方は
すぐ許すのは本当に難しいけれど
一度親御さんの昔を調べてみてもいいのかもしれないと思います。
自分が覚えているのは案外許せないことが覆いかぶさっているので
見えないところもあるかもしれない
あなたが生まれた日どれだけ喜んでいたかなど

もちろん、母親、父親、自分が息子だったり
義両親を見てるなど環境が変わればそれだけでないこともあるかもしればいけど

今私が介護をできているのは
それがあったからだと思います。
もし絡まった糸をほぐしてなければ
かなり介護もつらいものになっていたはず

もし介護をしないといけないならば
絡まった糸をほぐすこと
親のことを知ること(本当に難しいけれど)
をしてもいいのかもしれないなと思います
嫌いで辛くてイヤイヤ介護をするよりは
少し楽になるかなとちょっと思います。

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