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2020年8月の記事一覧

証言②きのこを食べたら、尿からセシウムが出た、健康不安もついてまわりますよ。

原告団団長 菅野秀一さん(79)南相馬市原町区高倉行政区在住
取材日;2019年1月19日 

 菅野さんは、南相馬・避難20ミリシーベルト撤回訴訟の原告団長だ。原告のみなさんは、菅野団長の指揮のもと、提訴前から週に一度、放射線の勉強会を続けてこられた。長年、市議会議員や区長を務めてこられた人望の厚い菅野さんだからこそ、原告のみなさんをまとめることができたのだろう。 このページに、原告の小澤洋一さ

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「南相馬避難・20ミリシーベルト基準撤回訴訟」 原告、それぞれの10年。

「南相馬避難・20ミリシーベルト基準撤回訴訟」 原告、それぞれの10年。

 2011年3月11日——。東日本大震災、続いて起きた東京電力第一原子力発電所の事故。
 この事故によって、私ですら人生を変えられた。
それまで、一度も〝福島〟に行ったことがなかった私でさえ、も。

なによりショックだったのは、国が、福島県の人々に年間被ばく〝20ミリシーベルト〟という通常の20倍以上もの被ばく量を適応したことだ。
そのなかには、子どもも、赤ちゃんも含まれていた。

 国は、東電は

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証言①また、どこかで原発事故が起きたら20ミリ基準が適応される。そうさせたくないから裁判をやったんだ

原告副団長 藤原保正さん(75)取材日:2018年12月9日

 藤原さんは南相馬市の生まれ。発災当時は、市内に工場を持つ藤倉ゴム工業(現・藤倉コンポジット)に勤め製造部門で管理職として働いていた。当時は、妻・息子夫婦、小学校1年生と、3歳の孫、91歳になる義父と6人家族。市内の大町病院には、83歳の義母がリハビリ入院中だった。
 原発事故によって避難を余儀なくされたことから、事故から半年の間に義

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