じぶんひとりでは、見えないところ
じぶんと向き合うことは、とても大切なこと。
じぶんと向き合って、対話をして、はじめて、わかることがある。
だからこそ、じかんを、とって、じぶんと向き合うじかんをつくった方がいい。
けれど、じぶん、ひとりでは見えない部分がある。
ともだちや、家族、じぶん以外の誰かから、見える部分がある。
ともだちから、言われて、はじめて、気づく部分がある。
それは、いいところであったり、じぶんにとっては、あまり、良くないと思う部分であったり。
それを言われて、喜んだり、逆にイラッとしたりするかもしれない。
ひとは、鏡だ。
ほかのひとは、じぶんを写す鏡。
だから、相手のイラッとする部分は、じぶんでも、もっている部分だったりする。
逆に、相手が、キラキラした部分があるのだったら、じぶんにも、そのキラキラがあったりする。
もちろん、相手の言うことを、すべて、鵜呑みにする、ということではない。
相手から言われたことに対して、じぶんは、どう思っているのか、どう感じているのかを、捉えてみる。
イラッとしたら、なぜ、イラッとしたのか。
そのイラッとした部分は、もしかしたら、じぶんの中にあるかもしれない、と、じぶんを、俯瞰してみればいい。
けれど、無理に、受け入れる必要はない。
少しずつ、じかんをかけて、受け入れていけばいい。
ほかのひとから、言われて、じぶんのいいところ、キラキラしたところに気づく。
それを、ぜひ、素直に、受け取って欲しい。
そんなことない、と受け取りを、拒否しなくてもいい。
素直に、そのプレゼントを受け取って、じぶんには、こういう、キラキラした部分があるんだな、と受け入れればいい。
昨日も書いたが、ぼくは、声を褒められて、声の可能性に気づくことができた。
書くこと以外に、声で表現する、ということを、やってみようと思った。
じぶんからでは、見えなかった、キラキラした部分。
そのキラキラを、どんどん、輝かせていきたいと、思っている。
みなさんも、じぶんでは、見えていない、キラキラした部分が、たくさん、あるのだと思う。
ほかのひとから、言われたギフトを、一度、じぶんで、受け入れて、輝かせて欲しい、ぼくは、そう思っている。
ここまで、あなたの貴重なじかんをつかって読んでくれて、ありがとうございます。
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