本当は誰に認められたいの?
あなたには、承認欲求というものが、あるだろうか。
あのひとから、認めてもらいたい。
あのひとから、褒めてもらいたい。
noteで言えば、もっとフォロワーが欲しい。
もっとスキが欲しい。
もっとコメントが欲しい。
ぼくにも、この承認欲求はある。
noteをはじめた頃よりも、承認欲求はちいさくなっているが、もっと欲しい、認められたい、という気持ちがあることは知っている。
それが、満たされれば、問題はない。
けれど、じぶん以外のひとなのだから、当然、認めてくれないひともいる。
そうなると、いらいらしてくる。満たされない。
その思いが、はじめは小さいけれど、だんだん大きくなって、大きな怪物のように、じぶんを襲ってくる。
すると、書くこと自体が、嫌になってくる。
そんなとき、こう問いかけてみてはどうだろうか。
ぼくは、本当は、誰に認められたいのか。
本当は、誰に、褒められたいのか。
本当は、誰に、見て欲しいのか。
想像して欲しい。
あなたのそばで、ずっと離れないで、いてくれるのは、誰だろうか。
あなたが、気分が落ち込んだ時、はたまた、喜びを感じている時、一緒に寄り添っているのは、誰なのか。
あなたが、他のひとから、認められなくても、あなたを、ずっと応援してくれているのは、誰なのか。
そう。
じぶんだ。
ぼくなのだ。
ぼくは、ずっと隣にいてくれて、24時間、365日、離れないでそばにいてくれている。
時には、ぼくを励ましてくれたり、一緒に喜んでくれたり、してくれる。
ぼくを、ずっと見ていてくれているのは、他ならない、ぼくなのだ。
ぼくは、ぼくから、認めてもらいたい。
ぼくは、ぼくから、褒めてもらいたい。
どんな時でも、一緒にいてくれる存在。
今回の物語、すごい素敵じゃないか。
この文章は、もう少し言葉を尽くした方が良いのかも。
新しいことにチャレンジできているのは、すごいことだよ。
今日は疲れたから、ゆっくり休もう。
承認欲求をすべて否定することはしない。
まずは、じぶんの中にある承認欲求を認めてあげること。
けれど、じぶんの中の承認欲求が、どんな大きさなのか、じぶんで確かめてみてはどうだろうか。
じぶんで、制御できるのか、もうじぶんでは止められないのか。
止められないほど、大きくなったら、一旦、その場から離れてみる。
ひとりで、過ごす時間をつくって、大切にしてみる。
もう一度、じぶんにとって、何が一番心地が良いのか、聞いてみる。
頭で考えるんじゃなくて、ハートで感じてみる。
あなたの一番の理解者は、あなた自身。
これからも、ずっとあなたのそばで、あなたを応援してくれて、見守ってくれる。
あらためて、ぼくは、ぼくの承認欲求と向き合うことができた。
そして、ぼくは、ぼくに褒めてもらいたいんだな、と思った。
よくここまできたね。まだまだ、一緒に歩こうね。
ここまで、あなたの貴重な時間をつかって読んでくれて、ありがとうございます。
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