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出産して5分後、分娩室で食したピザトーストの味

食事・運動制限、つわり、不眠…。妊娠時のマイナートラブルに一年近く向き合った集大成であり最大の難関が、出産です。母子ともに命懸けというのは決して過言ではありません。第一子を出産した時は何回か、死んだかな?と思ったし、二度とごめんだよ!と誓ったはずでした。

しかしそんな誓いをすっかり忘れて第二子を妊娠した私。体力的にも一回目よりも過酷だったことは間違いないのですが、二人目の出産にまつわることで最も印象深く、今でも忘れられないのは、出産して一番最初に食べた朝ごはんのことなのでした。

盛大なフライング

2022年夏の日の朝、3410gの元気な男の子が誕生しました。

とある日の夕方にそれとなく兆候があり、22時頃からお腹の張りと少しの痛みが断続的に発生。

キタコレ!

まだまだ痛みは我慢できる程度。念のため病院に電話すると、二人目であること(二人目以降は一般的に陣痛が始まってから出産までが早い)、数日前の検診の時点でいつ産まれてもおかしくない診断だったことを加味して、念のためすぐに入院することになりました。慌てて準備します。

産む気満々です。

戦じゃ!戦じゃ!

初期の陣痛なんか軽く凌駕して、ヴィダーインゼリーなどを鼻息荒く流し込みながら夜中に病院に到着。

さあこいや!かかってこいや!気合い充分に分娩台にあがり、「いよいよね!」という助産師さんを巻き込みながらバタバタと準備が進む。そして待つこと二時間。

まったく産まれる気配なし。

それどころか、気のせいかな? 痛みがどんどん弱くなる…気のせいとか言ってる時点でまあ、つまり、その、勘違い(小声)だったことは薄々わかっていました。

助産師さんはさっさと見切りをつけて「よくあるのよ!気にしないで」「なんかあったらナースコールしてね」「今日はなさそうだからゆっくり休んでいって」などと言い残してさっさとどこかに消えてしまいました。

ゆっくり休むも何もここは分娩台です。どう考えても長時間居心地良く過ごす場所ではないんです。

深夜0時。居心地云々以前にここって分娩室だし、寝ると思われてか照明全部消えてるし、モニターの点滅と心音だけが弱く光り鳴り響く無機質な空間に、私がぽつんとひとり…取り残されてる状態って、はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。

映画の「戦慄病棟」とか、「本当にあった怖い話」系のベタなホラーが頭をよぎって、目を閉じたら白い服きた長髪の女が目の前に立ってるんじゃないかって妄想が膨らんで…白い服着た長髪の女ってほぼほぼ私なんですけどね…頼むから陣痛きて!早く!ってもう半泣き。分娩台は狭いし硬いし、とてもじゃないけど寝るなんて無理です。

そのまま眠れない夜を明かし、助産師さんが「眠れた?」などと呑気に救出しにきてくれたのはなんと、朝の7時。なんならいつもの朝より遅い。

陣痛より辛かったっす。なんて言えるはずもなく、「ご迷惑おかけしました。それなりに眠れました」などと愛想笑いして、無駄に疲れた体を引きずり、朝日を浴びながら自分の足で病院を後にしました。

スーパー巻き巻き出産


そこから何事もなく2日が過ぎた日の夜。

いつもより頻繁なトイレで落ち着かず、ほとんど眠れずに夜を明かした早朝4時30分、はっきりとした陣痛を実感しました。

キタコレ!(2度目)

陣痛の間隔は10分おきくらい。痛みはギリギ リ我慢できるかできないか、くらい。もう病院に電話してオッケーな状況ではあるものの、いかんせん一回フライングしてるので「はいはい、またお前ね」みたいになりそうで嫌でも慎重になります。

ギリギリまで我慢してみせるわ!だってもう分娩台で一晩過ごずなんて嫌だもの!陣痛よりお化けが怖いもの(もう朝だけどね)。

痛みが本格化し、まごうことなき真(まこと)の陣痛であると確信を持ち、病院に電話。病院側が焦ってすぐ来るようにとのことでした。

そこから夫と長男を起こして長男を祖父母に預けて…などとやってるうちに陣痛はさらに加速して2分間隔くらいになってきてしまいました。なんかちょっとイキみたい、みたいな雰囲気もでてきて、タイミング読み間違えた的なアレな。急に怖くなってきました。これ、産まれちゃうんじゃね…?

夫に「やばいかも」と告げるも、フライングの前科がある私の判断は信用がないらしく、腹立つくらい落ち着いてるのが本当にムカつきます。

やっと病院について、エレベーターを上がる間に立つのもやっとな感じに。

朝6時。分娩室に案内されて診察すると、なんと子宮口9cmですでに破水しているとのこと。
破水?いつした?トイレ近いと思ってたのってまさか破水だったの?

助産師さん「7時前には生まれますよ〜」と。夫は一旦家に帰って会社に連絡などしているらしいのですが、間に合うでしょうか?

そのまま本格的な出産準備になり、点滴やら分娩台がウィーンって上がるやら、周りがばたつき始めます。その過程でたまに分娩室に私がひとり取り残される状況が発生きて、不安と痛みに耐える恐怖を味わいます。この辺で、長男を出産した時の恐怖と痛みと混乱をまざまざと思い出しました。

あー、こんな感じだったわ。

この痛みって確かあと50回くらいくるんだわ、んでもってそこ耐えても更に気絶するくらいヤバいやつが来るんだわ。

私は恐怖と絶望で早くも気を失いそうになりました。そして前回と同じこと思いました。

なんで無痛分娩にしなかったんだろう


痛みの間隔は2.3分。でも陣痛マックスの痛みはこんなものじゃなかった気がする。助産師さんが戻ってきて内診すると「いきみたかったらいきめばもう産めますよ」と、さらっと言われる。
そこに、ギリギリセーフで夫が登場。顔は見えないけど特に慌てる様子は感じない。助産師さんがあんなに焦って電話して呼び戻してくれたのに、夫ときたら全く動じることなく突っ立ってる。お前は春日か!

助産師さんにうちわで仰ぐように指示された夫はパタパタと無言で私の顔を仰いでいました。励ますでもなく心配そうな顔をするでもなく、無表情です。何考えてるのかさっぱりわかりません。そうこうするうちに、いよいよ分娩が始まりました。

絡まった臍の緒に悩まされる

一人目の時は、いざ分娩でいきむ時はもう意識朦朧としていて、陣痛の痛みで力尽きたようになっていました。最後は自分で産み落としたというより子どもが自ら流れ出てきてくれたような気がしていたが、今回は意識がはっきりしています。

陣痛の痛みはギリギリ意識を保てるくらいで、その状態でさらに「いきむ」のがやたら辛い。いきまないと出てこない。これが産みの苦しみでしょうか。
さらに、前回は酸素マスクしながら意識が半分ない中で産んだので声なんて出なかったのですが、今回は喉から搾り出すような、低い唸り声が自然に出てきた。
ぎゃーでもあーでもない、グアー!!という野獣のような声です。ふと夫を見上げると、妻が野獣に変身しているというのにもかかわらず、相変わらず無表情でやる気なさそうにうちわで仰いでいます。気力ゲージが10くらい減りました。

そんな中突然「これ以上伸びないから会陰切開」という助産師さんの声が聞こえて、「げっ!やめてー!」と思う間にバチンと切られました。イタイんだよこれが。

そこで気力ゲージが0になり「もうダメです」という心の声がうっかり本物の声になって漏れたとき、「あと一回で産まれるから!」と。そういうことなら…と最後の力を振り絞りました。

よもや解放されると気を抜きかけた時、「あー絡まってる」と助産師さん。子どもの首に臍の緒が2回絡まっているらしく、それをほどく間ずっとイタイ。たぶん、子どもの肩のあたり一番幅が広い部分がずっと挟まってるわけです。例えるなら、尾てい骨と腰骨をゆーーーっくり、じわじわ折られてる感じです。これがまあ、暴れ出したいほど辛いわけです。

臍の緒がとれた後でもう一回(うそつきー!)いきんだら、

息子が誕生しました。

陣痛開始からなんと2時間半、病院到着から1時間足らずのスピード出産でした。

おもむろに朝食が運ばれてくる


安堵よりも感動よりも「やっと終わった」という解放感で全力脱力タイムに突入しました。綺麗に拭かれて運ばれてきた息子は、臍の緒の影響で全身が紫で顔はパンパンに腫れていましたが、特に問題なく健康だそうで一安心です。

身体はヘトヘトでもう指一本動かすのも怠いのですが、頭は妙に冴えていました。たぶん、何かのアドレナリンが出ているのでしょう。せっかくなので、妊娠から出産までの道のりを思い出して、少し余韻にでも浸ろうかと思っていたところに…

「朝食、どうします??」

まったく空気読まない感じでおもむろに朝ごはんが運ばれてきました。

ここはまだ分娩室で、なんなら私の下半身はいまだ血まみれの状態です。なぜここで朝食なの?

「ここで1時間くらいこのまま安静にしてもらうので、時間あると思うので」と助産師さん。

出産してまだ5分くらいしかたってません。周りには血のついた何かや、水を流す何かのバケツみたいなものが置かれていて、そのグロテスクな光景ときたらどんな食欲も一瞬でなくすこと間違いなしって感じです。周りでは助産師さんがキビキビ動き回ってるし、流石にこの状態でもの食えるほど神経太くないしタフではないよ……。

そう思いながら、運ばれてきたカートをみると、美味しそうなピザトーストがトレイに載っていました。みずみずしいフルーツに湯気の立ったスープもあります。

「いただきます」


気がついたら私はそう言ってました。誰かに操られてるんじゃないかと思うほど、無意識に言ってました。

自分で自分が信じられませんでしたが、私はチーズが溶けたピザトーストに手を伸ばしていたのです。

まだ全身の力がまったく入らない状態です。ピザトーストにかかっているラップをはがすのもおぼつかず、震える手で、ピザトーストを求めていました。

分娩室で、ボサボサの髪の血まみれの女が、震えながらピザトーストを貪ってるわけです。病院ってそういうところでしたでしょうか?看護師さんも助産師さんも特に意に介さず、淡々と仕事をしていたのでさすがだなと思いました。

とにかくそんな落ち着かない状況で食べた、出産して初めての食事ですが、これが夢のように美味しかったのです。

カリカリのトーストは噛むのに顎の力が必要で弱った身体で飲み込むのに苦労しましたが、温かいパンはバターがジュワッと溶けていい匂い。とろけるチーズとピザソースがガツンと意に流れ込み、カロリーよ!私を蘇らせよ!と脳が命令してるのを感じます。

生きている、私は今、物を食べて、回復している。そんなことを、ものすごく本能的に理解しました。産後の動物が胎盤を食べるみたいな感じでしょうか。

こうして、サラダもスープもフルーツも、貪るように完食しました。

こんなボロボロの状態で何かを食べたのはもちろん初めてでしたが、さっきまで生きてることが不思議なくらい絶望的に弱っていると思っていたのですが、美味しいご飯を食べ終わってみると、あからさまに元気になっていることがわかりました。

やっと入院準備ができたようで、看護師さんに「車いすでお部屋まで行きます?」という提案をうけたのですが、私は丁重に断り自分の足で歩いて病室まで移動しました。ついさっきまで指先一本動かせなかったのに、驚くべき回復です。

人は食べ物で生きている。

そんな当たり前のことを実感しました。あの状況で、人間ひとりの命を誕生させた直後に食べたピザトーストの味と、自分の中に元気の源が流れ込んでみるみるパワーがみなぎった感覚は、一生忘れません。

私の人生の元気メシがピザトーストに決定した瞬間でした。