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vol.6 Sing like talking?Talk like singing?

話すように歌うのか、歌うように話すのか。
合唱をしていて、歌を歌っているというより、
ことばを届けている
そんな感覚だったときもあることを思い出しました。

合唱部での練習に、
「歌詞の解釈」という時間がありました。
どの合唱部にも一般的な練習なのでしょうか。
その日は、歌わずにひたすら「歌詞」についての解釈を深める。
今日はそのことについて書きたいと思います。

歌詞の解釈は「対話」の原点

その練習は決して頻繁ではなかったけれど、
絶妙のタイミングでやってきました。
パートリーダーになってからは、
コンクールの前やそうでなくとも「ここぞ」というときに
その時間を設けていたように思います。

いろいろなパート、いろいろな学年の人とチームになって
「この歌詞はどういう意味?」
「なぜ、ここは2回同じセリフを繰り返すの?」
「敢えてソプラノではなくアルトが歌詞!?」
それぞれ自由に対話を進める時間です。

答えはありませんでした。
それぞれが「解釈しました」ということを共有する。
「そうかもね」と違う意見を取り入れる。
特に議論はしないし、対決もしない。
これが、「対話」の原点だったのかな、と思います。


歌においてのコトバ

おとなになってから声楽を習いました。
大人数の合唱では一人ひとりの発生をそこまで細かくはやれません。
はじめて、「歌うを科学する」ような感覚です。

イタリア語の歌曲を当たり前のように練習していた時、
先生から「フランス語」を勧められました。
聞けば、
フランス語を学生時代専攻していたことを伝えていたから。

なんとなく王道のイタリア語がよかったんです。
でもフランス語で歌ってみたら、よりわかりました。
何がって、歌詞が、です。
「これはこういう意味で歌っているのか」
「この単語を単調で!?へぇ〜」
イタリア語は”音”としてしかしらないので、そういう発想にいたらず。
20年前にかじった程度のフランス語ですが、
音としてしか知らないイタリア語よりは入魂できる感じです。

音にのせているコトバがわかっていると、
歌もちがってくるのか、改めてそう思いました。


歌詞の解釈が教えてくれたもの

すぐに効果のある目先の練習に飛びつきたくなるものです。
コンクール前や、音が合わないなぁと感じているとき、特に。
それでも、歌詞の解釈をした後の合唱は、
音にコトバがのっている感じがしたものです。
何も答えを出していないのに、です。

ディベートでもなく議論でもない、「対話」。
私はそう考えたけれど、お相手はそう思ったのか
と受けとめる。

社会人になってから、
あらゆるところで「対話」の重要性を見聞きします。
正解のないものについて意見を持ちそれをシェアする。
そしてそれを結果・パフォーマンス・成果に活かす。

合唱部での歌詞の解釈は、
そんなことを教えてくれたのかもしれません。

Sing like talking,Talk like singing.
話すように歌い、歌うように語る。

それは自分たちの世界を広げ、
それを他の人とシェアする大切で贅沢な時間でした。