『三体』の感想文(言葉にならない!)

あぁ...わが同志...ついに出会ってしまった...

私が理想とするSF、至極の読書体験を体現した本。読んでいるうちに、こんな本を読みたかったんだ、という密かな欲望が暴かれていく。読後数時間か経っているが、いまだ脳内で快楽物質が出続けている。好きな人ができた日、みたいだ。この文章は、興奮状態で書いています。この本に対してぶわっと押し寄せる感情をどうにか、明晰に、整理して吐き出すことができるのか、はなはだ怪しいですが、何か書かずにはいられないので、快感がおさまるまでここに書き殴ります。(詳しいネタバレはほとんど書いてないので安心してください)

ここ数年来まともな読書体験を怠ってきたおかげで、ろくに本、小説を読んでいないことを気にしていましたが、そんなことはどうでもよくなるくらい私の心の臓をつらぬきました、この本は。

まずはじめに、ここ数ヶ月積ん読(飾り読)したまま開かずいたことを絶賛後悔しています。

それから、政治思想、哲学的思想、科学、テクノロジー、そして歴史と、それらを大小いろんなスケールで絡め合わせる途方もない想像力に、感服しました。(僭越ながら、こんな壮大で緻密な想像力をもっている著者が、エンジニア職の方だと聞いて、とても驚きました。)

あまりに感情を動かされて言葉が見つからず「わぁぁぁぁあああ!」という言葉にならない叫び声をあげることしかできないので、このセカイ系の主人公みたいなムズムズした気持ちを自分の生い立ちの面から語っていきたいと思います。

文革と私

この物語のキーとなる出来事の時代背景に、文革がある。日本版と英語版の『三体』は、文革のかなりショッキングな場面から話がスタートする。

私の母が過ごした、中国の中流階級の家庭では、実際にきょうだいが紅衛兵サイド、父(私の祖父)が学術的権威側と政治的に異なる側に分裂していた。私の叔母たちは実際に運動に参加しに北京まで出向いたり、その後農村に数年間疎開したそうだ。
 その話を母親から直接耳にした時、世界史でならった出来事が、いきなり現実味を帯びてこちらへ向かってきて、ぽわぽわした不思議な感覚におちいった。家庭内がこんなふうに思想的に対立する、という状況に、こんなに身近に有り得たことに、私は度肝を抜かれ、なおかつ興奮した。
 ジョージ・オーウェルの名作『1984年』で描かれる「二分間憎悪」や「ダブルシンク」の思想はとっても面白いアイデアだが、あくまでもフィクションである。社会の思想の対立の縮図が家庭内にそのまま持ち込まれ、親の生き様そのものが自分の敵となる、打倒すべき対象となる。そんな酷なありさまが現実でありえることに、2000年代を生きる日本の若者である自分は、想像力を全部使いきっても、なかなかピンとこない。私自身も毎日のように両親と主義主張が食い違うが、それは方向性の違いで解散するバンドくらいのレベルだ。比べ物にならない。生まれた時から私を可愛がってくれた叔母たちが、そんな青年期を生きたようには、まったく、本当にまったく、思えない。(彼女たちは退職しても、なお有り余る体力で世界中を好きなように旅行したり、豊かになった国で本当にいきいきと生きている。)
 私は銭ゲバだった中国、そして銭ゲバ精神から解放されはじめている今日の中国の姿しか知らない。

だから、この本で、文革当時の、振る舞いの隅から隅まで政治思想が浸透している様子や、学問、科学が軽んじられ、最早、論理ですら政治の前に屈する様子が、ありありと再現される、
それも政治思想が友人や家族間の繋がりを引き剥がし、科学の進行方向をいとも簡単に変化させてしまう形でそれが描かれると、(圧倒的に思想ボケしている、私が暮らしている世界、今日の日本とあいまって、より一層、)文革という史実に心が惹かれ、リアルに近い感触を物語で体験できることに興奮を覚え、自分ごととして捉える、という心構えでこの本と向き合っている。

地を行くセカイ系(宇宙系)、そして期末8点の物理

私は、いつの頃からか、気づけば宇宙大好きっ子になっていました。きっかけは思い出せないけど父親が、自身の趣味に興味を持たせようと私をそう仕向けたとか、きっとそんな感じ。
 10歳くらいのときに、家族でぐんま天文台に行き、当番をしていた研究者に、「天の川とアンドロメダ銀河はそのうちぶつかるんですか。いつ頃ぶつかるんですか。」という質問を、父親に無理やりさせられた。その答えはもう忘れてしまったが、知りたいなら自分で聞けよ、と強く思ったことを今も覚えている。小6のとき、進学塾Sピックスの理科資料集の裏表紙の内側にあった、当時のノーベル賞級の発見であった6種類のクォークや自発的対称性の破れについて、説明を理解し(たつもりになって)嬉々として語っていたし、その頃小惑星探査機はやぶさの戦利品が全国を巡回していたから、学校が終わって急いで見に行った記憶がある。ちなみに私が唯一もっているプラモデルは、そこで買ったはやぶさのレプリカ。

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うちのトイレにずっと貼ってあった、「一家に一枚宇宙図」

中性子星合体のシュミレーション動画も小学生のときに目にしたことを覚えているし、重力波の存在を知ったのも確か中1くらいで、「つどえ!リケジョ」的な謎イベントで、重力波を検知する仕組みを再現する実験を、音と鏡を使ってやった記憶もある。

中高生の時は、柏の宇宙線研究所のイベントやカブリIPMUの講演会に父と何度か遊びにいった。 そういった場で聴講しているおじさん達にまじって相当な宇宙オタクに仕上がっていた私は、高校でなにかの教科で、みかんネットをつかって磁場の歪みとワームホールについて、クラスメートを巻き込んで発表したりした。

これは研究者になるしかないじゃないか、と思えるような育ち方をしてきたが、結局高校では物理で8点を取り(一家の恥といわれた)、数学に挫折して、文系の道にすすんだ。(もちろん人文科学も大好きだったので、どちらかというと自ら積極的に文系を選んだ。)

物理のしょっぱな、力学で既にモチベーションが下がりまともに勉強せずテストで爆死したので、物理はそれ以降やらずに、化学と生物を履修した。(平均点が30点くらいだったから、8点でも本当は諦めなくてよかったのかもしれない。)正直、物理を最後まで勉強しなかったことは後悔している。授業で扱った古典物理は、私が知っているような宇宙に関する理論物理とまったく違って、つまらなかったし、よくわからなかった。数学も同じで、数式は私が流暢に扱える言語、コミュニケーションツールとなり得なかったので、数3の最後まで勉強せずに大学に進学してしまった。

しかし、やっぱりサイエンステクノロジーとか、宇宙に惹かれてしまう性分は変わらない。

文系の道を選択してからも、高校生の時にJAXAの公募でKARI(韓国版JAXA)のサマーキャンプに行ったり、大学生になってからはNASA、ジョンソン宇宙センターの2週間留学プログラムに参加したりなど、なんやかんや宇宙との関わりを断つことができず、宇宙大好きっ子を続けている。

しかし、そちら側の専攻を諦めてから、憧憬とコンプレックスが入り混じる対象として物理や数学が立ちはだかっている。(三体は読んでいると頓挫する人が多いと聞きました。理論的、観測的な宇宙に関する記述は、ここまでの私の知識の蓄えのおかげで、挫折することはなく読めました)

三体を読んで、久しぶりにそのコンプレックスが、心の奥深くに押し込んで半ば忘れかけていた羨望の気持ちが、ふいに刺激されて、いてもたってもいられなくなっている。

いまから勉強しても、果たして間に合うだろうか。いや、何に間に合わせるというわけではないが、現実では絶賛就活を控えているし、今勉強を始めることが、(進路に)役にたつはずもないし、一銭にもならないのではないか。そこには崇高な思想も理念も微塵も存在しない、ただの現実と打算だけをみつめてしまう自分がいる。でも、やっぱり夏休みに線形代数の勉強を再開してみようかな。

こんな、セカイ系みたいなあまっちょろい思考回路をいまだ大切にしている私は、いつまでたっても中二病な心を忘れられない、むしろ忘れないようつとめている部分さえある。大学に入って、就活の時期を迎えると、現実、社会に、抵抗感なくうまく順応するとか、そういう意味で「大人になる」ひとが周りに増えていく。お金を稼ぐために、理不尽なことも受け入れたり、中身に思想がともなわなくとも、言われた通り事を成すことができるようになる。ざっくり強めの言葉でいうと、資本主義に隷属できるようになる、ということだと思う。三体を読むと、一挙一動、振る舞いに思想をともなわせることの気高さがかっこよく、(三体の世界線では生きるために迫られてキャラクター達がそう在るのはわかっているが、)自分もそういう大人になりたいと思ってしまった。

三体は文学的だとか、文体やストーリー構成が特別引きこまれる、という訳ではないけれど、<現実にない、または現実で実現できない、私が心の底から渇望していること>を引き出すトリガーが散りばめられていることが、ここまで書くうちに、少しずつ明らかになってきたかもしれない。

政治的、哲学的な思想に基づいて社会で振る舞うこと、文革について深く知り、家族の生い立ちに思いを馳せること、物理、数学を通じて宇宙を語り、解明すること。

これらがパズルのピースのようにあわさって、高い完成度で満を持して、私の大好きなSF作品として調理されている。冒頭でなぜあんなに喚いていたか、自分でもなんとなくその理由が、わかってきました。本当に血脈がどくどく鳴る音を聞きながら、電車を何度か乗り過ごしながら、読んでいました。

数年ぶりに、ハードカバーを買って、本当によかった。さっそく今週中に、三体Ⅱを手に入れたい。中国語の原著にもチャレンジしたいです。

<追記>ゆかりの土地、四川の成都が科幻(=SF)都市に認められ、そこに「科幻世界」編集部が籍をおいていることも、セカイ系な私にとってとても嬉しい偶然でした。いつか成都のSF大会に参加してみたい!

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