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たったひとつの景色を求めてる 【ゆるゆるいちごつみ #6】

えみさんとの #ゆるゆるいちごつみ  リレー。

えみさんの前作はこちら。

私も自分が写真を撮られるのは結構苦手で、共感のエッセイです。
今回、このエッセイから私が摘んだのは、「景色」です。


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小説を描くとき、詩を綴るとき、短歌を唄うとき、エッセイを書くとき、そのすべてのときで、「景色」を意識している。

海とか山とか、目に見える風景も含むけれど、それだけじゃない。風の音だったり、雨が降る前の匂いだったり。
それを文字にすることで、目を閉じて感じられる、そういう「景色」だ。
「景色」は、そのときの心を表していると思う。だからと言って、泣きたいときに雨の景色とか、そういう短絡的な感じではなく、もっと違う感じで表現することを目指している。
すべての作品に、それができているかと言われれば、もちろんできていない。ただ、意識としていつも、私の中にある。

昨年のコンテストのひとつ、旅する日本語
いくつかのテーマがあり、難しいのもたくさんあったけれど、なんとかすべてのテーマを描ききった。短い文字数の中、小説でその「景色」を表現することは、とても難しかったけれど、モノ書きの端っこに佇む者として、とてもやりがいのある、そんなコンテストだった。

短さの中に綴る「景色」は、歌詞に似ていると思う。主役はそれを歌っている人ではなく、その人の声。声と歌詞が、その景色を優しく見せてくれる。

ときどき、書くという行為を、とても難しく感じる。心をつらつらと綴る、日記のようなものでさえも。
いろいろな企画で、いろいろなテーマがあって、考える方が楽なこともある。
書きたい、書かなきゃと強く思えば思うほど、何も書けない時間が増えた。
それでも、毎日何かを書きたいのは、自分自身の弱さゆえのこと。
やりたいことが多すぎるのだ。諦めきれないことが、多すぎるのだ。

1度休んでしまったら、私は私を保っていられないだろう。
ダンスなら、できないと怒られるから1日休むと、かえってしっかりしなきゃと思う。
ジムでの体力&筋力トレーニングなら、体重と筋肉が嘘を吐かない。
だけど、書くという行為は、ひとりでおこなうこと。孤独とまではいかなくても、続けるのもやめるのも、自分の意志だ。私はとても意志が弱い。百瀬七海としての時間を取らなければ、私はきっと逃げ出す。そして後悔してしまうのだ、いつか。

結果が出ないということは、その弱さを克服できていないのも多いと思う。
ダンスの本番で見る景色が、そのステージに立つ人たちにしか見ることができないように、私もモノ書きの端くれとして、百瀬七海にしか見ることのできない「景色」を見てみたい。


では、えみさんにバトンタッチ!


2020.6.13

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