ヴィア・ドロローサ~イエスが歩いた悲しみの道【第2巻】~イスラエル聖地巡礼記とイエスの生涯
■全3巻の構成
全3巻の構成は、以下の通りとなっています。
【第1巻】(別ノート)
はじめに
■「ヴィア・ドロローサ」とは?
■古代イスラエルの民来日説も
■全3巻の構成
■本書の小見出しについて
第一章‐イエスの誕生~ベツレヘム
◆あなたがたの心は私たちの心と同じですか?
■はじめてのイスラエル行き
●ナザレ
■エルサレムへ
◆五つの福音書
■ベツレヘムでのデ・ジャ・ヴュ
●おさなごの誕生
◆本当のイエス誕生の地は?
●割礼と聖別
■ベツレヘム生誕教会
◆クリスマスはイエスの誕生日ではない?
●イエス親子のエジプト行き
■ベツレヘムからエルサレムへ
◆処女懐胎は真実か?
◆イエスの教えは古代日本に入っていた?
■ 賢者のことば
■著者略歴
■著作権について
【第2巻】(別ノート) →この巻
第二章‐少年時代から伝道開始へ
●エルサレム神殿へ
■古くて新しい国
■悲願の建国
◆死海文書と謎の教団
◆ヨハネとイエスはエッセネ派だった?
◆エッセネ派とイエスの教えの共通点
■安息日のテルアヴィヴ
◆エドガー・ケイシーとフリーメイソンリー
■妖しい街
◆イエスはインドやチベットで修行した?
◆アジアに広がるイッサ伝説
◆チベットで秘密の巻物を見た女性
◆チベットに伝わるイッサ(イエス)の生涯
◆それでも残る疑問
◆創作の可能性は?
●バプテスマを受ける
■四回目の渡航
●伝道の開始
■財布をなくした
●イエスの奇跡
◆奇跡は事実だったか?
◆物質化現象の奇跡
■悪名高き出国審査
第三章‐エルサレム
●エルサレム入城
■旧市街探検
●聖都での教え
■エルサレムへ
■主の祈りの教会
●イエスの涙
■主の泣かれた教会
●血と肉と
■最後の晩餐の部屋
◆『ダ・ヴィンチ・コード』の謎
■イエスに妻がいた???
■ダビデ王の墓
●ゲッセマネでの苦悶の祈りと逮捕
■万国民の教会・ゲッセマネの園
●ペテロの否認
●鶏鳴教会
【第3巻】(別ノート)
第四章‐悲しみの道
■本当の十字架の道はどこか?
●死刑判決を受ける
■第1留:普段は入れない小学校に
●鞭打ちの刑
■第2留:鞭うたれる
●主が倒れる
■第3留:初めて倒れた場所
●母は見ていた
■第4留:母は見た
●十字架を背負うシモン
■第5留:十字架を背負った者
●ヴェロニカの慰め
■第6留:布の奇跡
●二度目に倒れる
■第7留:神の子が殺された
●女性たちを慰める
■第8留:女たちを慰める
●三度目に倒れる
■第9留:道に迷う
●ゴルゴタの丘
■第10留:教会の中へ
●十字架に釘付けにされる
■第11留:本当に「無力」だったのか?
●イエス死す
■第12留:心を乱さずに見られるか?
■神の操り人形
■友のために命を捨てること
●十字架から降ろされる
■第13留:聖母の祭壇
●墓に葬られる
■第14留:イエスの墓
◆宗教と暴力
■神使い?
●イエスの復活
■園の墓?
◆イエスは本当に復活したのか?
◆肉体的復活と霊的復活
■マリアの墓の教会
第五章‐昇天とその後
■三度目のエルサレム
●復活後の教え
◆生まれ変わりと復活
■オリーヴ山
■イエス昇天の地の隣で寝る
●イエスの昇天
■昇天教会
エピローグ
あとがき
■参考文献
■小見出しについて
このノートでは、ひとつの章の中の小見出しに付加する記号によって、以下のような意味付けをしています。
小見出しの先頭のマークによって、以下のような分類となっています。
「■」:百瀬の聖地巡礼記
「●」:イエスの生涯
「◆」:小論またはエッセイ
第二章‐少年時代から伝道開始へ
●エルサレム神殿へ
イエスが少年時代から20代にかけて、どこでどのように過ごしたかについては、福音書にはまったく書かれていない。
新約聖書外典(*)の『トマスによるイエスの幼児物語』では、イエスの子供時代の出来事が書かれている。
それによると、5歳のときに雨で濁った川の水を一瞬に清くしたり、泥で造った雀を飛ばせたりといった奇跡を見せている。
だが、他の文献にまったく見えないところを見ると、その出来事の真偽の程は疑わしい。
正典福音書では唯一、12歳のときに両親とともにエルサレムを訪れたことが、ルカ伝に見えるだけだ。
イエスの両親、ヨセフとマリアは、毎年過越しの祭りのときにはエルサレムを訪れていた。
イエスが12歳になったときに、親子は慣習に従って都へと上った。
過越祭はヘブル語でペサハ、アラム語でパスカと呼ばれる。
この祭には、次のような由来がある。
当時のイスラエルの民は、エジプトで奴隷として虐げられていた。
80歳だったモーセが民の指導者になり、エジプト脱出を試みるが、ファラオ(エジプト王)がこれを妨害しようとする。
そこで神はエジプトに対して災いを与え、エジプトに生まれたすべての初子を殺すことにした。
神はモーセに、その災いから逃れる方法を授けた。
傷のない子羊をほふり、その血を家の戸口の柱と鴨居に塗るというものだった。
こうして、イスラエルの民の初子たちは助かった。
現在でもユダヤ教とキリスト教では、ユダヤ暦第1月のニサン月14日の夜(太陽暦の3月か4月)から1週間にわたって、この祭りを祝う。
ユダヤ教では、少年が13歳になるとバル・ミツヴァと呼ばれる成人儀礼を行う。
この儀式を経てはじめて、正式なユダヤ教徒とみなされるようになる。
イエスのエルサレム行きも、12歳という年齢から考えると、成人儀式のためだったのかもしれない。
ユダヤ教の慣例では、成人した男性は年3回の大祭の際にエルサレムを巡礼するという。
祭りの期間が終わって両親がナザレへ戻ろうとしたところ、イエスがいなくなっていることに気づいた。
親類や知人のところを探し回った後で、両親は神殿でやっと息子を見つける。
そこでイエスは、学者たちの真中に座り、話を聞いたり質問したりしていた。
まわりの人々は、その少年の賢い受け答えに驚いていた。
ヨセフとマリアがイエスを問い詰めたところ、イエスは「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言った(ルカ2‐49)。
両親にはその言葉の意味がわからなかったが、「父」とは神を意味していたのだ。
■古くて新しい国
1999年4月24日、土曜日。
はじめてのイスラエル出張のときのこと。
朝、フランクフルトのホテルを出て、空港へ。
ルフトハンザ機で、イスラエルへ飛ぶ。
ルフトハンザのチェックインカウンターに並ぶ。
とにかく人が多い。ドイツ人だけでなく、いろんな人種が混じり合って歩いている。
ビジネスクラスのカウンターで聞くと、イスラエル行きはセキュリティー上の理由で、別のところでチェックインしてくださいとのこと。
テロ対策で、特別に警戒が厳しいようだ。
先に出国審査をして、スーツケースをもったまま別のゲートへ。
金属探知器で体中を探られる。
エックス線検査のところで座っているおじさんが「コンニチハ」と挨拶。
日本人だということがバレてしまったか。
ルフトハンザ機はトルコ上空を飛び、地中海を渡る。
ゆっくり本を読んでいる暇もなく、テルアヴィヴのベングリオン空港に到着。
約4時間弱の飛行だった。
イスラエルの地を初めて踏んだ瞬間から、試練が待ち受けていた。
タラップを降りると、サングラスをかけた制服姿のお姉さんに声をかけられる。
セキュリティーチェック(安全検査)だと英語で言われて、入国の目的を聞かれる。
やれやれ、こんな善良そうな青年(?)をつかまえてテロリストの疑いをかけるとは。
「目的は?」
「企業の研修です」
「会社の名前は?」
「N社です」
N社から届いた研修申し込み確認のファックスを見せると、行ってもいいという。
ジーンズにTシャツで長髪という、あまりにもラフな格好をしていたのがまずかったか。
幸先の悪いスタートになってしまった。
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