海に還る

8月たったひとつでいい、せめて夏らしいことをしたいと思って海に行った。


駅から海岸まで20分くらいかかった。
道すがら濃くなっていく潮の匂いに胸が高鳴っていく。潮。海。磯。これはぜんぶ違う匂い。でも最早どれでもよかった。ぜんぶ本能をくすぐるものだった。



ようやく辿りついた海岸の砂浜には貝殻が多かった。少し見慣れない光景だった。故郷のは岩だらけで、砂浜なんてなかったから。
踏みしめる足の裏が少しだけ痛い。それでもはやる足を止めることはできない。
2年ぶりの海だった。心の奥の奥にある扉が開いて、懐かしい感覚が引っ張り出される。本能みたいなトコロに火が灯る。


ぱしゃん、静かな水音、踏み込んだ足を受け入れたのはとても穏やかな海だった。
波をふちどる白い泡がやけにくっきりと見えて目が離せなかった。繰り返しくりかえし、形を変えて戻ってくるそれをなんだか不思議だと思った。
『地球が呼吸している』なんて、どこかで聞いたような陳腐な例え文句が浮かぶ。本当に呼吸のリズム。無意識に自分のを合わせたくなって、しばらくそうしている。



空がいい感じに曇っていた。
光が直接差さないなら海は青くなんてない。穏やかな水面はぼんやりした日光を細かく反射して、複雑な色をしていた。
小さなガラスが継ぎ接ぎされて、きらきら光る、それがずーーーっと遠くまで続いてゆらゆらとひらめいている面、みなも、ミナモ。青くなくたってこんなに綺麗だ。
8月、いや今年、この目で見てきたものの中で何よりも美しかった。



五感の全てが『落ち着く』と言っている。
何か考えることも、目を開いて見つめることも、こうして2ほんの脚で立っていることも、瞬間ぜんぶやめてしまって水面に倒れ込みたい衝動があった。
そのままただの物体になって揺蕩っていたい。
体なんてなくていい。足指の隙間に入り込んでくるちっさいちっさい砂くらいになってもいい。そのまま水に融けてしまってもいい。




―――死んだら墓とか要らんから、遺灰、海に撒いといてくれ。

父がよく冗談混じりに言っていた。


今ならその気持ちが分かる。
私は死んだら海に還りたい。

還る場所が土ではなく海なのは、私にとっては本能レベルで当然のことのように思える。
理由はまったく分からない。


海で生まれて、海に還り、その一部となり、また新たな命を育む。
輪廻や前世やアノ世やコノ世、そんなもの信じていなかったはずなのだけど、海という場所でのこんなサイクルを気づけば私は思い描いている。
そうありたいと願ってすらいるだろう。




私の前世はきっと、海のいきものだったのでしょう。

そして現世でもまた、それを繋ごうとしている。



胸を締め付ける『懐かしい』の感情がその証拠だ。

視界がぼやけた。


懐かしくて、人は泣けるんだと知った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?