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凹みの自分。

これは、命をつかい切ろうという自分とは別の側面の、
弱い自分、凹んでいる自分のお話だ。

朝は、どうしようもない自分を突き付けられる。
あきらめが早いこと、いやなイメージばかりしてしまうこと、
思い切りがわるくてノロノロすること、勇気がないこと、
自信がないこと、あーだこーだ思考が回ってしまうこと。

本当は、勇気を出して行動すれば今も、未来も、
変えられることがたくさんあるはずなのに、
あたまでは分かっているのに、実際の自分は勇気がなくて、
行動する前にあきらめたり、悪いイメージで重たくなってがんじがらめに動けなくなったりしている。
悪いイメージなんて、存在しないことを分かっているはずなのに。
動き出せば、案外平気だって、何度も確かめているはずなのに。

安心感があれば、いけると思っていた。
でも、どんなに安心する環境でも、がんばれない自分がいた。
がんばり屋でない、安心するところに収まっていたい自分がいた。

危機感があれば、緊張感があれば、つづくのか?
それも、失敗した。緊張感が続くのは、シンプルにしんどかった。
緊張感がありつつ良かったこともあったけど、もはや緊張感に身を置こうと思えない。決められない。
危機感なんて、不安をあおるばかりで疲れてしまって、危機感や警戒心を感じたり、それによって動くのなんてもううんざりなんだ。鈍くなっていく。

いつか、慣れると思っていた。
いつか、慣れる。そう言い聞かせてやっていた。
達成感があれば、どんどん進みだすだろう、状況は良くなっていくだろう、といつだって希望に思っていた。希望に思っている。
いつか、なんていつまでもやってこない。
時間が過ぎても、心の平穏は増えてきたが、さっぱり状況は変わらない。
達成感なんて、その場限りのもので、また重たいものにがんじがらめにされる。
状況が変わらないどころか、どうしたら良くなるのか、わからない。このまま、どんどん悪くなっていくんじゃないかと思えてくる。アイデアはそうそう、湧いてこない。何をしても無駄に思えて、何もしたくなくなってくる。

徒労感ばかり、つみ重なっていく。
壁をいつまでも、越えられない。壁がずっと、聳え立っているイメージがつきまとう。
望んでいることは、毎日、週に数日でも働くことなのだけど、月に2週間くらいは、壁が聳え立っているイメージに負けて、何もしたくなくなっている。
自分でも、何がそんなに大変なのか、そんなに難しい状況じゃないと思うのに、仕事に行ける日もあるし、周りの人たちも環境も安心感があるし、働くのだって楽しいのに、わからない。
コツコツ、目の前のことをつみ重ねていくことで、理想に近づいていくと思うのに、コツコツ、積み重ねるのが疲れて、いやになることが、すごくたくさんある。
徒労感がつみ重なる状況なんて、そんな期間が長くつづくなんて、どう考えてもヘルシーじゃないと思うのに。


わたしはいろいろ、凹んでいる。
わたしはいろいろ、足りない。
わたしはいろいろ、自分で稼いで生きていくには、
今の自分を変えていかなきゃそうはならないのだろうと思っている。
それは、とても難しそうに思える。

もう一方、ちがう側面のわたしは、
お金を稼ぐとか、社会的地位を得るとか、
わたしは不得意そうだが、命をつかい切るためにがんばろう
と思っている。
生きる方法は様々で、お金をたくさん稼ぐでなくとも、
生き方の道はありそうだなと思っている。
凹んでいるものを変えなきゃダメだ、でもないかもなと思っている。
精神的にゆたかに生きるは、努力できるのでないかと思っている。

足りない自分、凹んでいる自分、弱い自分、
聳え立つ壁のイメージと、押しつぶされそうな不安、恐怖、重荷、危機感は、
ゆたかに生きる、ちがう生き方も可能性に過ぎないことを教えてくれる。
何もしないで、努力も挑戦もしないで縮こまっていても、明るい未来はやって来ないのだと教えてくれる。
教えてくれる時間は、それこそ疲れてて、気力もやる気もなくて、何もしたくないのだけど。
数日ごとに教えてくれるなんて、親切ともいえるし、ありがた迷惑とも言えるし、しつこくて嫌いなんだけど。


これは、
弱くて、凹んで、足りない自分の話。
こ奴の声も聴いておかないと、機嫌を損ねるので、
言葉にしておく必要を感じた。


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