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木を挙げる

気持ちのいい天気だった、と思う。
というのは、好きだった人に振られてしまって、その時のわたしは、お天気どころじゃなかったから。
泣き疲れて、部屋のすみにうずくまって、ただぼーっと外を見ていた。
窓の向こうで、木が風に吹かれてゆれていた。
葉が落ちて、むきだしになった枝が、いくつにもわかれて空にのびている。
ふと、うでを精一杯のばしている人間のように見えて、わたしは聞いた。

「何をしているの?」

すると返事がきた。

「木を挙げているんだ」

びっくりした。
まさか、何かが返ってくるなんて思ってもみなかったから。
でも、木を挙げるって・・・なに?
また、木を見てみる。
空にむけて、枝をのばしている。
あれが挙げているのだろうか。
凧のように?

「なんでそんなことしてるの?」

おそるおそる、また聞いてみた。

「こうしたほうが光がよくあたって、息がしやすいからね」

「そうじゃなくて、なんで」

わたしはもっと、ねもとのわけが知りたかった。
例えば暑い日も寒い日も、雨の日も嵐の日もあるのに、どうしてそんなことをしているのか。
いったい、なんのために。

「ああ、ええと・・・」
彼、と仮にそう呼んでおくけれど、彼は少し考えて、こう言った。

「楽しいから」

「楽しい?」

「風にゆれながらバランスをとるのは難しいんだ。
でも、うまくできると楽しいんだよ。やってみなよ」

「ええ!?」

いったいどうやって?って思う間もなく、わたしは、木のすごく近くにいた。
もしかしたら木の内側だったかもしれない。
彼がわきによけて、わたしを見ている。
やってみなよ、って、目が、もし目があればの話だけど、言ってる。
神妙な心地で、とりあえずやってみる。
うでをのばす。

こうかな?
これでいいのかな?

くい、くいっ

ぬけるような青空。
埋めるにはまるでたりなさすぎる、ちいさな、たよりない、うで。
でもふと、ああ、ここかな?なんて、思ったりして。

さあっと涼しい風が吹いた。
おおっと、微妙に姿勢をたてなおす。
ほんとだ。ちょっとコツがいる。
楽しいね、これ。
青空とのバランス。

いま、ここに、
そのようにあることの、
いごこちを、
ただ、
信じる。

ふり返ると、彼はうずくまっていた。
じっと、ずうっと、動かない。

「せっかく自由になったんだから、何かほかのことをしてみたら?」

わたしは言った。

「今まで、長いこと、ここに、こうしていたんでしょ。
大丈夫。ちょっとの間だけど、やっててあげるよ」

すると彼はなんだか困ったような顔をして

「だって、僕は、木だから」と言う。

「・・・そう」

じいっと、そこにいる。
なんだか悪い気がして、わたしは木を返した。
彼は再び木を挙げた。
今までそうだったように、まるで何もなかったように、ふつうに。
でも、ふとふり向いて、

「また、木を挙げにおいでよ」って言った。

「うん」と、わたしは言った。

気がつくと、もとの部屋に戻っていた。
まるで何もなかったように、ふつうに。
わたしは、ぶるっと震えた。
窓を開けっぱなしにしていたせいか、すっかり冷えてしまっていた。
とたんに、体に重さが戻ってきた。
窓の外を見ると、木。
ただの、ふつうの、木。
なんだか、ずいぶんと遠い。
あんなに近くに思っていたのが、うそみたいに遠い。

いま、ここに、
そのようにあることの、
いごこちを、
・・・・・・

あれはいったいなんだったんだろう。
もそもそと、手を動かしてみるけど、全然遠い。
じぶんの中をたどってみた。
なにか、跡みたいなものがないかな。
すると、

かさり、

と、音がして、どこかでひらっと、青いものがゆれた気がした。

それきり。

そのかさりとした青いものは消えてしまった。

あとかたもなく。

あれから、この木とは話せていない。

でも、声をかけたら、応えてくれるものはあるのかもしれない、と思う。
思える。
どんなにひとりきりでも。
どんなに渇いていても。
こころをうんと澄ませれば、じぶんに向けられた声を聞くことができるかもしれない。

たとえばそれは、人間じゃなくても。

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