見出し画像

私は君のヒロインに

 私は、君のヒロインになりたい。
 
 柔らかな春の日差しに照らされて、笑う君の姿が忘れられない。
「サキちゃん、遊ぼう」
 公園を挟んで徒歩5分の私の家へ、翔は毎日遊びにきた。雨の日は私の家で遊び、たまに外で泥だらけになって、翔の家でシャワーを借りたりもした。

小学生になって数年も経てば、なんとなく関わりづらく、私は自然と翔を避けるようになってしまった。それでも翔は変わらないみたいで、小学校入学前ほどではないにしろ、私のもとへ遊びにきた。
「サキちゃんと翔って、つきあってるの?」
 年頃にもなれば、そういう話題は避けられない。まだ口に馴染まない「付き合う」という単語が、どこか浮いているのがわかる。噛み砕くように復唱すれば、口の中でコロコロと言葉が遊んだ。
「確かに、サキちゃんと翔っていつも一緒だよね」
「私も気になってた」
 仲の良い女友達が、キラキラと声を弾ませながら言う。それは決して悪い言葉の響きではなくて、むしろ心地の良いモノだった。
「付き合うとか! そういうのじゃなくて、ただの友達だよ」
 友達、そう答えれば、浮ついた気持ちはだんだんと冷めていく。付き合うとか、そういうのじゃない。友達。慣れ親しんだ言葉に安心感を覚えた。キラキラと表情を輝かせていた少女たちは、「そうだよね」「翔だもん」などと口々に言っていた。
「でもさ、サキちゃんはどうなの?」
 この話題を出してきた少女が言う。
「どう、って?」
「翔のこと、どう思ってるの」
 この手の話題が好きなのか、はたまた翔のことが好きなのかは、よくわからなかった。
「特に、考えたことがなかったなあ」
 私と翔の関係性を考える、今まで無かった感覚に、むず痒さを覚えた。
「翔はー?」
 別の女子が、遠くで男子と雑談する翔に聞いた。
「何が?」
「サキちゃんのこと、好きー?」
「好き! だってサキといると楽しいし」
 そう言って満面の笑みで答える翔。そうじゃない、と賑やかな女子のブーイングと、授業開始のチャイムが重なり、この話はここで終わった。ただ、そのあとも私の心にふわふわと温かいものだけを残して。

 中学生になって、部活動を始めれば、当たり前のように私たちの距離は離れた。
 周りでは今まで以上に惚れた腫れたの話題が出るようになり、仲の良い子の中でも、次第に好きな人や彼氏がいる、なんてことを聞いていた。
 そんな中でも変わらず翔は、私に話しかけにくるし、忘れ物をすればクラス違いの私のところまで借りに来ると言った有様だった。
「サキと翔くんて、付き合ってるの?」
 その日も英和辞典を忘れたと言って借りにきた翔に、友人が聞いた。
「付き合うとかねーよ。サキは何て言うか、違うじゃん」
 ねーよ。放たれた言葉に体が止まった。私も考えたことはなかったけれど、それでもやっぱり言葉にされると、多少なりとも傷つくものだ。
「違うって? 例えば」
 楽しそうにぐいぐいと聞く友人に苦笑いしながら、翔に辞書を渡した。
「お母さん、じゃないの」
「ちげーって」
 けらけらと笑いながら、翔が否定する。
「なんだろう、仲間? みたいな」
「ジャンプの読みすぎだよ、ほら、教室戻りなって」
 サンキュ、と、短く礼を言って教室へと戻る翔の背を眺めていれば、友人が横から「脈は?」何て聞くものだから「私から願い下げですね」と笑って答えた。
 ただ、そのあとも、「ねーよ」と言われた言葉だけが、引っかかっていた。

 違和感が確信に変わるのは思いの外早かった。中学三年の夏、翔に彼女ができた。同じ部活の、一つ下の後輩の女の子だった。小さくて、ショートヘアの似合う、可愛い女の子。
 彼女と楽しそうに話す翔の姿を見て、あの時引っかかっていた言葉が黒いモヤみたいに全身に広がった。そのモヤに吸収されるみたいに、体の熱が引いていく。

 私は君の、ヒロインになりたかった。

 彼女ができても、翔と私の関係は特に変わらなかった。変わる方がおかしいのかもしれない。だって、翔にとって私は「そういうのじゃない」から。
「サキはさ、高校どうすんの」
 自分の気持ちを自覚してしまった今、翔のそばには居られないと思った。いや、居たくないと思った。
「なんで私に聞くの?」
 口から出た言葉は、心なしか冷たく尖ったものだった。
「いや、高校もサキが居たら楽しいなと思って」
 そういって笑う翔の姿に、呆れながらもほっとした。だめだ。本当にダメだ。翔の、悪意のない笑顔が私の心を縛り付ける。わかっているのに、離れることができない。できない? しないだけだ。

 私は君の、ヒロインになれるだろうか。

 卒業式の日、翔の彼女が私の元にきた。
「サキ先輩は、翔先輩の何なんですか」
 耳にタコができるほど聞かれた質問によく似ている。よく似ているのに、全く違う。赤く腫れた彼女の目が、私のことをキツく睨んだ。
「何でもないよ。ただの腐れ縁」
 そうやって笑って答えれば、何かが彼女の琴線に触れてしまったようで、目の前で泣き出し始めてしまった。まるで私が泣かしたみたいじゃないか。後で聞いてみれば、彼女は翔に振られたらしい。何でこんなところで、尻拭いをしなくちゃいけないんだか。不本意だ。

「演劇部に入りたいんだけど、サキも一緒にやらない?」
「なんでだよ」
 入学式後、久しぶりに私の家に訪ねてきた翔が言った。どうやら部活動ガイダンスで見て、これだと思ったらしい。だったら一人で行けって。
「でも、サキがいたら楽しいじゃん」
 そう言って笑う。やめてほしい。仕方ないと思ってしまうじゃないか。
 でも、もしかしたら。そんな思いがなくもなかった。

 私は君の、ヒロインに。

 淡い思いが体を包んで、熱を上げていく。舞台の上だけで良い、偽物でも良いから、私は彼のヒロインになりたかった。彼の双眸で、捉えて欲しい。「仲間」じゃなくて「私」として。
「サキ」
 その時が来たのだと思った。何年越しの思いだか、始まりはよくわからないけれど。きっと最初から始まっていた。あの日、あの春の日から。君が私に笑いかけてくれた、あの日から。

 そして今、舞台の袖に、肩を並べて立つ。濃紺の貴族服に身を包んだ、翔の隣に。少しだけデザインの違う貴族服に身を包み、左側には偽物の剣を携えて。
彼の反対側には、ドレス姿の女の子が立つ。長い睫毛に縁取られた大きな目が、形の良い桜色の唇が、整った可愛らしい顔が、楽しそうにキラキラと輝く。「緊張しますね」なんて言いながら。そんな彼女を見て、翔は柔らかく笑った。

 結局私は、虚構の中でも、彼の仲間だ。自重気味に笑えば、ヒロインの彼女が私の名前を呼んだ。頑張りましょう! と笑う彼女に、そうだねと微笑み返す。

私は君の、ヒロインになれない。どれだけ恋焦がれようと、求めようと。
 この景色が、立ち位置が、それを痛いほど実感させる。
 君のヒロインに、なる事はない。きっと、ずっと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?