短編小説。 ビー玉。

きれいなビー玉を買ってもらった。百円ショップにあったそれは量産物であるにも関わらず、僕の心をとてもワクワクさせた。透明感の溢れ出るその玉は水色や緑色や青色があってまるで宝石やダイヤモンドを持っている気分になった。中でも一番綺麗なのが金色っぽいビー玉で、特にそれを大事に机の中にしまい、たまにみるのが楽しみになっていた。

その頃、僕は中学生になって、遊ぶことが仕事だった小学生があっという間に終わってしまっていた。いつのまにか、大人になっていく過程を一つ終えてしまった。少しだけワクワクすることも減り、はしゃいだり、元気に授業に取り組んだりすることを恥ずかしく思いはじめるこの歳。僕も、周りと同じようにそんな態度を取り、人を傷つけていたかもしれない。純粋に人を好きになることや、意識が高いことは恥であり、何事も素っ気なく、嬉しくても嬉しそうじゃなくしてるのがカッコいいと思うようにしていた。中学の担任の先生は、少し変わっていてちょっと吃音ぎみだった。みんなはそれを見てコソコソ笑っていたし、僕もちょっとだけみんなと一緒になって笑っていた。先生がいなくなったあと、教室が先生の悪口で少し盛り上がった。僕も少しだけ笑顔を見せて空気を壊さないようにした。誰も止める人はおらず学校で一番怖い先生がきて、みんなに怒っていた。

僕はそれが嫌だった。みんなに合わせて笑う自分が。どうしようもなく嫌で仕方がなくて、家に帰るとお気に入りのビー玉を眺めた。ビー玉を見ている時だけ純真な小さい頃に戻れる気がするのだ。ビー玉が綺麗であることは、僕が小学生時代の時から、きっと不変なことであり、しばしば気持ちを安心させた。僕はこのビー玉の中から金のビー玉を取り、お守りのように持ち歩くようになった。

夏になって、学校での生活は可もなく不可もなくといった具合だった。友達は多すぎず少なすぎずだが、そこまで仲良しなわけでもなく、ちょうど良い距離を保っていた。小学校のときはそんなことはなかった。だが今は、上手く馴染めずどこか距離を感じていた。制服のズボンのポケットには、金のビー玉を入れていてそれを触ると気持ちが落ち着いた。

そんな時、友達と遊ぶ約束が出来た。大勢でプールに行くことになった。1人1人とはそこまで仲良くなかったが、僕は水泳を習っていたのでとても楽しみだった。母親に無理を言ってかっこいいゴーグルや競泳水着などを買いに行った。商品を選んでると近くの休憩所から友達の声が聞こえてきた。近所で大型ショッピングセンターと言えばここしかなく友達も来ていたらしい。母親から離れて近づいた時、友達たちの話が聞こえてきた。

話によると、明日のプールに行くメンバーに違う人も行きたいとの話だったが、定員が決まっているらしい。そこでもう人は変えられないが、いらないメンバーは誰かという話だった。その中に僕が呼ばれていないという点でお察しだろうが、その「いらない」人は僕だった。心臓の鼓動が早まり、気持ち悪くなってきた。もう一刻もはやくこの場から離れて、この話を聞いてない状態の僕を演じてみんなに会う準備をしなければならなかった。そして、いまここに僕がいるのは気づかれてはならなかった。ビー玉をギュッと握りしめて、その場を離れようとした。

母親が来た。その友達のグループには僕の小学校からの友達もいて母親はその友達を知っていた。母親がその友達に気づき、やがて僕の存在もその場にいた全員にバレた。その時の光景は、惨めだった。僕が明日のプールに気合い入れていたことや、明日どれだけ楽しみかを母親は最高の善意で話した。友達たちはみな、引きつった笑顔でその話を聞き、僕の顔を見ていた。ビー玉を握る手の力が強まり、手から血が出ていたことを帰ってから知った。

次の日、僕はプールに行かなかった。母親にはプールに行くと言い家を出て、友達に具合が悪くなったと嘘を行って、図書館に行った。友達もそれが本望だろうと思い、今頃、他の友達を呼んでプールに行っているだろうということを思いながら、図書館の重い扉を開ける。本なんて、漫画くらいしか読んだことない僕にとって楽しみの少ない場所だった。椅子に座りビー玉を眺める。夏の暑い日で図書館はほんの少しだけ涼しかった。

今頃、みんなが遊んでいるんだろう。僕は、昔を思い出した。昔は、僕も無意識のうちにあんな風に誰かを疎んでいたかもしれない。そして、誰かを傷つけていたかもしれない。他人の気持ちは考えられないのに、自分のこととなると世界から見捨てられたようなくらい落ち込んでしまう。みんなが今頃、楽しそうに遊んでいるんだろうな、でも僕はそこにいれないっていう虚無がいっそう僕を傷つけて、離さなかった。眺めていたビー玉が初めて汚く見えた。

家に帰ると、母親が居た。僕はかっこいいゴーグルと競泳水着を忘れていた。それを手に持った母親が僕を抱き寄せた。母親はこういう時に優しい。僕は声を上げて泣いた。小学校以来、泣いてなかった。悔しさでも感動でも、泣くのはカッコ悪いと思っていた。だけど全てを捨てて思いっきり泣いた。心やプライドを守るものを全て捨てて泣いた僕は強くなることを決めた。

僕は次の日学校に行って、初めて休み時間を1人で過ごした。昨日プールに行った人たちは、気を使って僕に声をかけ遊びに誘ってきたが、やんわりと断って僕はビー玉を眺める。少しだけ汚く濁って見えたが、それはそれで綺麗に見えてきた。どんな形でも良い。僕は僕らしく生きようって思った。

ある日、僕に1人の友達ができた。その人はクラスに友達があまりいなくて僕もそんなに知らない人だった。だが聞くところによると同じ小学校で同じクラスだったらしい。あの日、図書館で僕を見かけていたらしい。

それ以来、漫画しか読まなかった僕はその友達からいろんな本を教えてもらった。放課後、よくその図書館に行くことが日課になっていった。その度に記憶を遡って友達のことを思い出した。ビー玉が一定の輝きを放ち、太陽に照らされながら難しい本を読んでいる友達を見て思い出した。

かつて、僕が疎んだクラスメートだった。僕は信じられなかった。僕に疎まれた過去があるにも関わらずその人は僕に話しかけてきてくれた。仲間外れにしていたこともあった。悪口を言ったこともあった。そんな君が何事もなかったようにいま、僕の前で難しい本を読んでいる。

図書館から出た時、僕は君に初めて謝った。君は無言だったが、僕が顔を上げると少しばかりの笑顔を見せてくれた。それが僕にとっては、見捨てられた世界に戻れる橋のように見えた。その友達はそれからも頻繁に遊んだ。その友達との思い出は図書館ばかりだったし、家にも一回も行っていない。だけどそんなことは関係なかった。学校で毎日話すようになっていろんな話を聞いたおかげで僕は本が好きになった。もちろん漫画以外。君から教えてもらった本を一冊一冊丁寧に読んでいた。そこには贖罪の意味も含まれていたかもしれない。だからこそなのかもしれないが僕は少し躍起になって本を読み続けた。夏の日差しにビー玉が輝いている。

いつのまにか、僕は中学2年生になった。その頃になるとビー玉に頼る必要もなく、家の机の中に閉まっていた。君のおかげで知識は増えて、成績も優秀になった。今も君に教えてもらった本を読み続けているが、君とは新学期になってから会ってない。違うクラスを覗いても君の姿は見当たらなかった。

僕は、家に帰り、ビー玉を閉まっていた机の中からビー玉を出して眺める。だが、金のビー玉が見つからず、僕は金のビー玉を見つけるべく、部屋を隅々まで探した。

おしまい。

あとがき、
創作活動から少し離れていた。そういったものを完全に遮断した状態(自分が何か作品を作りたいという気持ちを失くした)で生活をしてみた。
そんな時、自分というものがいかに空っぽであるかに気づいた。世の中について知らない自分がいることを認められず小説に逃げていた時もあったと思う。だがもう逃げが通じなくなってきた年齢になっていた。
そのことに気づいたのは面接で落ちたことだった。落ちたり、失敗したことがあまり少なかった人生だったこともあり、落ちたことが大きなダメージになっていた。しかし、本気になったきっかけにもなり、次の目標に向けて頑張ろうという気になった。だからその企業にもとても感謝してる。
自分はまだまだ大人になりたいだけの子供だった。それに気づいたのは間違いなく今であった。その企業に、友達に、先輩に、そして何より母親に気づかされた。この今の気持ちで書いたこの小説はまさしく今を象徴した作品になった。

ビー玉を綺麗と思うか、はっきりとした色がないものって思うかは個人によって違う。綺麗でありはっきりしないと私は思っている。だからこそ魅かれるのかもしれない。
僕もビー玉を買った。とても綺麗だった。

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