【ピリカ文庫】月が出るまで
突然、歩けなくなった。
いつものように玄関で靴を履き、ドアを開けて一歩出たところで崩れるようにその場に座り込んだ。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
立ち上がろうとするが足に力が入らない。
なんだこれ
もう1度立ち上がろうとするが、やはり力が入らない。
つねったり、叩いたりしてもびくともしない。
痛みは感じる。でも動かない。
「りょうくん、何してるの?」
後から出てきた美奈が、石畳の上に座っている俺に驚いた様子で声をかけてきた。
「あ、美奈。なんか急に足に力が入らなくなって、立てないんだ」
「え?何それ、ヤバいじゃん!」
俺の足が動かない事を確認すると、すぐに救急車を呼んだ。
救急車の中、美奈は動揺しているのか俺の手を握る手は震えていた。俺はというと、穿いてるパンツがブーメランパンツだという事に気がついて美奈以上に手が震えた。ズボンを脱がされませんようにと願った。
搬送された先の病院で検査をしたが、その日は原因はわからなかった。詳しい検査をする為そのまま入院する事に。
結局2週間くらい入院して原因不明で別の病院を紹介された。
退院の日に、美奈は祖父が使ってたという車椅子を持って来てくれた。
家に着き、車椅子のまま玄関に入ると、足に違和感を感じた。
今、足に力が入ったような…
そう感じてその場で立ち上がろうと力を入れた。
あっさり立てた。
「え…」
「え?え?りょうくん、立ってるじゃん!!なんで?なんで?」
「わかんないけど、なんか立てた」
その場で足踏みをした。
「りょうくん、すごい!!」
「うん。でも、なんで急に…」
「人騒がせな足だよねー。でもよかったじゃん!歩けるって事は、この車椅子いらないね」
「そうだな。とりあえず物置にしまってくるよ」
車椅子を押して外へ出ると、石畳の上で崩れるように座り込んだ。
「は?」
「うそ、りょうくん…」
もしかしてこれって
動かない足を引きずりながら這って玄関までいくと、力が入り立つ事ができた。
どうやら俺の足は家の中では動くみたいだ。
なんでこんなややこしい体に
数日後、紹介された病院に行ったが、そこでも原因はわからず、精神的なものではないかと言われた。この体では仕事はできないので、退職する事にした。
「家に帰ったらりょうくんが居るなんて最高じゃないか」と美奈は言ってくれた。「ご飯があるともっと最高」とも言ってたな。新婚なのに俺がこんなんで申し訳ない。
それから美奈は、俺をカウンセリングに連れていってくれたり、効果があると聞けば、鍼灸、整体、気功、波動などにも連れていってくれた。残念ながら歩くことはできなかった。「石畳に悪霊が!」と言って、石畳の除霊をしようとした時は流石に止めた。
家の中では足は動くので、筋力が低下しないように毎日筋トレをした。1日1回は外に出る事を日課にしている。毎回、石畳の上に座る事になるのだが、それでも続けた。
ある日、美奈が『願いが叶う石』と書かれた怪しいチラシを握りしめて仕事から帰ってきた。
「商店街の近くに雑貨屋さんが出来たんだけどね、そこに面白い石が売ってたの。持ってるとなんでも願いが叶う石なんだって!!」
そのチラシをよく見てみると、『神様が食べ残した月』入荷しましたと書かれている。
「その『神様が食べ残した月』っていうのがね、願い事が叶う石なんだって。りょうくん、変わったネーミングの石、集めてるでしょ?『睾丸石』とか『バイトをクビになった帰り、落ちてた石を蹴ったら野良犬に当たって追いかけられた時につまづいた石』とか」
「確かに集めてるけど…」
「この石はね、誰かにもらったものでは効果がないの。自分で買わないと。だから、歩けるようになったら買いに行こ!」
「あ、うん…」
いつになく真剣なので、歩いて買いに行けるって事は俺の願いは叶ってる事になるからその石は必要ないし、歩いて行けないなら車椅子で行けばいいじゃないか、なんて言えるはずもなく、余計な事は言わなかった。
美奈は俺が外に出られなくなって半年、1年と、節目になる前日に「あの石、明日入荷するってよ!」と教えてくれるようになった。
だけど無情にも時間は過ぎていく。爪を切りすぎた時や大事に取ってあった鳩サブレを美奈に食べられて枕を濡らした夜も、外の世界は動いていた。俺はそれを家の中から眺める事しかできない。いつか『神様が食べ残した月』を見に行ける日が来るのだろうか。
その日は突然来た。
朝、壁に掛かってあるカレンダーの前に立った美奈は、今日の日付を赤いマジックで丸く囲った。
「りょうくんが歩けなくなって今日で3年が経ったね」
「もう、そんなになったんだ」
「だから今日から歩けるよ!」
「は?」
「ほら、ことわざにあるでしょ?石の上にも三年って。りょうくん、石畳の上に座って3年経ったんだから今日から歩けるって事だよ!!」
「あ、うん…そうだな。そうなのかな」
いつになく真剣なので、入院期間を除いたら正解には3年は座っていないし、今日で3年なら歩けるのは明日からじゃないのか、なんて言えるはずもなく、余計な事は言わなかった。
「だからこれ、置いとくね」
冷蔵庫に貼ってあった例の怪しいチラシをテーブルの上に置き、美奈は仕事に行った。
俺はいつもように家事をこなし、いつものように筋トレをした。
何をしていても美奈の言葉が頭から離れない。
歩けるようになっているのか
夕方、例の怪しいチラシをポケットにしまい、いつものように玄関で靴を履き、外に出た。
石畳の上で崩れるように…とはならなかった。
歩ける
歩ける
歩いてる
広い
広い
広すぎる
外はこんなにも広かったのか?
喜んでいいのか。泣いていいのか。
よくわからないけど、とにかく嬉しい!
ポケットから例の怪しいチラシを取り出し、念願?だった雑貨屋に向かう。
自分の足で外を歩くのは3年振りなので、流石に疲れる。
チラシの地図によるとここかなあ
目の前に長屋が並んでいた。
「これって普通の家だよな…」
他に雑貨屋らしき建物はない。
ふと見ると、建ち並んだ長屋の一軒に『神様が食べ残した月』入荷しましたと書かれた貼り紙がドアに貼ってある。
迷ったが、恐る恐るドアを開けた。
そこにはごく普通の玄関がある。ここは本当に雑貨屋なのか?と疑問に思いながらも「すみませーん」と声をかけた。
奥からドタバタと物音がする。すると、ドアが開き、中から人が出てきた。
「りょうくん!りょうくん!」
出て来たのは美奈だった。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でこっちへ走ってくる。
「うわ…」
俺の足にしがみつき「歩けたんだね!よがっだ…!よがっだあぁぁぁぁぁぁあ!!」と言って声を上げて泣き出した。
「なんで、ここに…」
話を聞くと、『神様が食べ残した月』なんてものはなく雑貨屋も存在しない。すべて美奈の創作だった。俺が変わったネーミングの石を集めるのが好きだから、もしかしたら買いに来るかもしれないと思ったらしい。例の怪しいチラシも美奈が作った。この長屋は、俺の独身時代の貯金を切り崩して借りているようだ。石の上にも三年の下りは『暗示でハッピー』という本を読んで思いついたとか。今日は有給を取り、俺が来るのを待っていた。
だから節目の前日になると、「あの石、明日入荷するってよ!」なんて教えてくれたのか。有給を取って俺が来るのを待つ為に。
こんなにも壮大な事を俺の為に、俺以上に俺の事を考えて、俺の独身時代の貯金を切り崩して…!いつになく真剣だったけど、貯金の件は後で何か言おう。
思えば美奈は俺の為に色んな事をしてくれた。どこで聞いたのか「北斗神拳!」と言って俺の秘部に秘孔を突いた時は命の危険を感じた。俺はすぐに秘孔封じをしたので事なきを得たが。そんなふうに、1ミリでもマイナスでも効果があると聞けばどんな事でもしてくれた。
そんな途方もない愛が、愛おしくて、愛おしくて、思わず頭をぐりぐりした。
「痛いよ…りょうくん」
「ごめん、つい」
くしゃくしゃになった髪の毛を優しく撫で、「帰ろうか」と言って美奈の手を取った。
外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
夕闇が終わり、夜空には神様が食べ残した月が出ている。
願い事は何にしようか
美奈の手を強く握り、歩いた。
今回、ピリカさんの企画である「ピリカ文庫」にお誘いをいただき、小説を書かせていただきました!
テーマは「夕闇」で、文字数がざっくり2000字という事なのですが、軽くオーバーしちゃってます🥺もしかしたらブーメランパンツや睾丸石が原因なのかもしれません。
あ、夕闇はコトバンクさんか、ウィキさんかどっちかによると「日が沈んで、月が出るまでの間の薄い暗闇」という事らしいです。なので「月が出るまで」をタイトルに使いました。
夕闇は闇に飲み込まれそうなイメージ(※個人の感想です。厨二病です)がありますが、闇だけどそんなに闇じゃない、という風な感じで描きたかったので、夕闇はそんなに闇じゃない物語になりました。
この、夕闇はそんなに闇じゃない物語を「ピリカ文庫」に加えさせていただけるなんて、とても光栄です!
ピリカさん、ありがとうございました!
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