ぐるり
普通の人の、どこにでもあるような出来事。
それはもしかしたら自分の記憶かもしれないと錯覚するような、
ありふれたことをきらきらした言葉で表現してくれて、わたしの普通をきらきらにしてくれる言葉
「自販機のモスキート、宇宙のビート版」は「雲走る」とか「キャラメルプリン」
「卒業式」は「サラバ青春」
物語の節々から感じるチャットモンチーの色、懐かしさ
戻らない時間に胸が痛むこともあるけど、
どこにでもあるようなことの、でも自分の中にだけ残った思い出が、自分を作っているのかも
自分であること、自分だったこと
他人のこと、他人だったこと
ぐるりとみんな繋がっているのかもしれないな〜って
自分だったり友だちだったり、すぐ近くにいる人からお茶飲みながら聞いているみたいな、小さな物語がとんとんと
後半になって、あ、さっきでてきた人だって、ちがう物語ですれ違う
その交錯の絶妙なタイミングに、ほっこりしたり、なつかしいような気持ちになったり
みんながそれぞれの生活をそれぞれのスピードで生きている、という当たり前のことが、尊い、と思わせてくれる
大きなしかけもないがじわじわとくる。
小さなキラキラした日常やちょっと不思議な非日常が入り混じって、それをDJがゆるーくつなぐ
ぐるりとつながって、
「まあいいや、明日もテキトーにがんばろっか〜」っておもう
ゆるいポジティブさがなんとも言えず心地よい〜
らその日常が「ぐるり」と回りまわって繋がってゆく
ストーリーに起伏はないけれど、優しく心に届くような文体
気付かないと通り過ぎて、忘れてしまうような日常を大切にしたいと思える
結婚指輪だって必要ないと思っていた。仏教徒だし、これみよがしに左手の薬指に輪っかを入れるのはなんだかこっ恥ずかしい。自由を愛する二人としては、何よりも束縛感が気になった。とまあ二人ともそんなノリで、柄じゃないからいらないよねーと一時はなしでいくことに決まったのだ。それがどうして指輪を買うことになったのか……。
「やっぱ指輪買おうかな」
昔の友だちは、ずっと愛用しているパジャマや枕カバーのようだと思う。
元気なときは、そこにいてくれていることに気づいてなかったりする。
けれど、弱ったとき一番に着替えて涙を吸い込ませられるのは彼女らだ。
友達は何でも許してくれるし、私も許す。
宝物箱に入れておいて、ときどき思い出す存在。
仕事仲間と会う時は、三番目くらいにいい服を着てくけど、友達に会うときはパジャマのままで行ける。
「三番目にいい服とパジャマ」
ふと、毎日を大切に過ごす、ってどういうこと?と考えさせられた
わたしの根っこはどこなんだろう、何にも芯がない、
わたしは
ふらふらふらふら何も自分で決められない
言葉と生活が切り離せないところはすごく共感
いろんなことに足を踏み入れて、挑戦してみて、自分の枝葉を広げていく生き方
素敵だし、見習いたい
未知の世界に飛び込んでいくのはわたしにとっては怖いし疲れるし、すごく勇気のいることだから
気になることも人もたくさんなのに、
でも実際に中身を知ることができるのはほんのちょっとだけ
寂しい
「体のことは自分にしかわからないから、私に頑張れ頑張れと呼びかける」
さっきまで家族と夕飯を食べていた食卓、道を行く誰かの淋しげな後ろ姿、子どものいなくなった公園を見ていると、言葉になどせずとも、それ自体が詩になる、それこそが詩、と最近はそう思う
確かにそうなのかも
だけど自分だとするっとことばが出てこないから詩であることに気づけない
音、歌詞、リズム、ひとつひとつが青春
好きだった人を思いながら聞いた曲、励まされた曲、せつない気持ちになった曲
いろんな感情が、鮮明によみがえる言葉、
愛おしい
メロディーのない文章もどこかリズミがあって、声に出したくなる
その瞬間の直感に全エネルギーを詰め込む強さ、反動で内側に沈み込む脆さ
まるで自分の過去を振り返ってるみたい
眩しくていとおしくてこそばゆくて
直視できないけど大事に包み込んでおきたいもの
背中を押される、
がんばれる
ひとを大切にしたい、旅に出てみたい、人と話したいって思った
発掘にある、日常で急に当たり前なことを自覚するっていうのは誰にでもある
それを大事にするから、ああいう詩や詞を書けるんだなと納得した
ちょっと元気のない時にぱらぱらとめくって勇気を貰えるような
大事にしたいと思える
何気ない日常をほんの少し楽しくするコツ、目の前の風景を鮮やかに切り取る術を心得ているひとだなと
人との出会い、土地との出会いでこの人が作られたこと、それは私もそうで、誰しもがそうであること
この人の紡ぐ歌詞に、言葉に励まされる夜があるということ
チャットモンチーの歌に、言葉に、音に救われる毎日だ
ありがとう
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