誰しもセクシュアルは決まってない

前回の記事から少し間があいてしまいました、皆様いかがお過ごしですか?
春の面影を攫って既に真夏日が続き、梅雨の香りが近づいていますね。
さてさて、文筆をお休みしていた間に私の心境に変化がありました。

「なんだかこの先男の人を好きになれる気がしないな」

ふと、そんなことが頭をよぎる瞬間がありました。
男の人と何かあったわけでもなく、むしろ気軽に話せるし、そこに窮屈さは無い。
私は普段レズビアンを自称はしません。好きになってお付き合いしているのがたまたま女性なだけだからです。
彼女以外の女性に魅力を感じるかと言われるとそうでもなく、セクシュアルを明言する必要がある場合(そんなこと滅多にない)はデミセクシュアルを名乗ります。

デミセクシュアル……他者に対して恋愛感情は抱くが性的欲求は基本的に無い。深く強い絆で結ばれた相手などごく一部の場合に性的欲求が働くことがあるセクシュアル。

カテゴライズするなら自分の位置はここだと認識しているからです。
それがなんで今、男の人を好きになれる気がしないなんて話になるのか。正直私自身もよくわかりません。
ずっと、男の人を恋愛対象として見ることは出来ても、性的対象にはならないと感じてきました。それは自分がノンセクシュアル(他者に恋愛感情は抱くが性的欲求は抱かない)だからだと思って生きてきたのだけど、彼女が出来てデミセクシュアルへ移ろい、もしかしたらまた別の何かへ移ろうというのかも知れません。
それが世間一般のどんなカテゴライズになるのかはわからないけれど。

以前レズビアンの子から「男性を好きになってしまった」という相談を受けたことがあります。

私はレズビアンなのに、と自分自身がわからなくなっていた彼女。だけど本当は人を好きになるのに性別もセクシュアルも関係ないんじゃないのかな、と私は思っているのです。相手が何者であっても好きになったのなら、愛情は確かにそこにあるのでしょう。

レズビアンだから男性を好きになっちゃいけないなんてことはないし、一生レズビアンで生きていかなくちゃいけないわけでもない。
何者であろうと、自分が相手を好きだということに自信を持っていい。
自分自身の意識とは関係なく、セクシュアルは流動的で移ろいゆくものだと思う。
それは誰にも責められることではないしそのことで自分自身を責める必要もない。それが自分らしさだと思っていいんです。

相談してくれた彼女の後ろめたさは「レズビアンである自分」へ向けられていたけれど、それでも彼が好きだと言うなら自分自身が背中を押してくれるはず。人を好きになるって素敵なことだから、セクシュアルという壁を前に「好きになってしまった」なんて、罪悪感を抱える必要はないってことを伝えたい。そもそもそんな壁ないんだから。

「男の人を好きになれる気がしない」と感じている自分が移ろう先は今の私にはわからないけれど、視野はいつでも広く持っていたい。

自分がセクシュアルに対して今後どんな価値観を持つのか、少し楽しみなところです。


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