器用貧乏な私(才能ある人への憧れと嫉妬)
私は「才能」というものからかけ離れた人間だとつくづく思う。
だから、ずば抜けた才能を持っている人に対する憧れと嫉妬を、人よりも多く抱いているのではないかと思う。
子供の頃から、色んな事を無難にこなしてきた。
学校の成績も基本的に上位にいたし、スポーツも得意だった。
でもそれはただ、ある程度の努力をし、無難にこなしていただけで、勉学もスポーツもどちらもずば抜けた才能があったわけではないから、一流大学に入れるわけでもなかったし、プロのスポーツ選手を目指すわけでもなかった。
そして、手先が不器用で、芸術的な感性や才能を全く持ち合わせていない私は、美術と家庭科の実技の点が悪く、筆記テストを頑張っても成績はいつもパッとしなかった。
アメトーークで、絵が下手な芸人が集まる回を観て大笑いしている自分も、絵を描けば彼らと同じ様なレベルだ(笑)
そして私はせっかちで飽き性なので、“忍耐強く一つの事に向き合い続ける才能”さえ持っていない。
一つのキャンバスに何時間も何ヶ月も向き合って絵を描いたり、スケボー、けん玉、ギター、ボルダリングなど一つの課題が出来るまで何度も何度も練習したり、水やりと草抜きを何ヶ月も繰り返して野菜や花を育てたり、根気のいる作業は私には出来ない。
それが出来る人達が羨ましくて仕方がない。
そして、人をワッと驚かせたり、感動させる作品を生み出す人や技を持つ人達への憧れが強く、あまりにも凡人な自分に劣等感さえ抱いてしまう事もある。
ただ、凡人は凡人なりの楽しみ方がある。
私の周りには、才能溢れる人、コツコツ根気の要る作業を苦に感じる事なく楽しめる人が沢山居るお陰で、SNSにアップされる友人のミュージックビデオや崖からスキーやマウンテンバイクで大ジャンプを決める映像などを観て感動出来るし、プロ並みの仕上がりのデザートや手作り味噌を頂いたり、無農薬野菜の美味しいご飯を頂いたり、才能のお裾分けを楽しむ事が出来る。
そしてそこに努力は全く必要ないのだ(笑)
うん、凡人でも楽しい。
そうだ、私は子供の頃から美術館で絵を見たり、本を読んだり、映画を見たり、スポーツ観戦したり、とにかく作品を“受け取る”事が好きだったんだ。そして受け取ったものに感動する事が楽しかったし、名作を探す事が好きだったし、それは今でも変わらない。
見て、受け取って感動してくれる人達がいる事で、クリエイターやアスリート、アーティスト達がさらにその才能を伸ばしていけるのだとしたら、受け取る事を楽しむ事は、この世の中を豊かにするために不可欠なものなのかもしれない。
でも本当に悔しいくらいに、私の周りにいる皆んな凄くて、とにかくカッコ良い!!
これからも、私をいっぱい感動させて下さい!!
もし生まれ変わるとしたら、ずば抜けた身体能力とコツコツ努力出来る才能を持って生まれてくる事を希望したい。
もしくは、絶世の美女!!(笑)