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安らぎを求めて〜犬を通して見る世界〜

犬の居る暮らし。

それを切り離す事は、私にとって安らぎの時間を大きく失う事だと、18年間私の側に居てくれた愛犬モモとお別れしてから痛感した。

私が生まれた時には既に実家に犬が居て(チビと名付けられたチワワで、ちくわが大好物のブクブクに太った犬だったが、長生きしてくれたし可愛かった)、チビが亡くなった後も、高校を卒業して実家を出るまで、家に犬が居ないという事はなかった。

両親共働きで、小さい頃から留守番をする事が多く、犬が家に居るだけで安心出来た。

中学、高校の頃、学校や家で何か嫌な事があった時、1人で犬を連れて田んぼや土手に(実家はかなり田舎にある)散歩に行くと、面倒くさい事やモヤモヤした気持ちから解放され、相棒の犬と穏やかな気持ちで時間を共有した。

その時の夕焼けやひんやりした空気、刈られた後の稲を踏んだ時の感触や、あの時に抱えていた感情さえも今でも鮮明に覚えている。

そして相棒の犬との間には、欲やエゴやしがらみや、不安や悲しみや憎しみは皆無であり、共に過ごす喜びしかなかった。
犬と飼い主の間には揺るぎない絆と信頼関係があり、例え飼い主が一切合切を失ったとしても、犬は飼い主にどこまでも付いて行く。

実家の犬だけではなく、小さい頃ご近所さんの大型犬(もしかしたら私が小さかったから大きく見えただけかもしれない)の犬小屋に潜り込み、そこに居る犬と一緒にアイスクリームを食べたりもした。
その犬は私からアイスクリームを奪うことはなく、自分が舐める番を辛抱強く待ち、私と交互に舐めて嬉しそうにしていた。
そして私も嬉しかった。

昭和時代の田舎では野良犬は珍しくなく、野良犬達とも仲良くなった。

私は常に犬達と精神的に深く繋がりながら大人になった。
何もかもが嫌になり、心がやさぐれきっていた頃は、人間が1人も居ない場所で、犬達だけと暮らしていけたら最高なんじゃないかと思ったくらいだ。

私は子供の頃から、犬に安らぎと救いを求めていたのかもしれない。

“Dogs live in the moment.”

犬達は、過去にとらわれず、未来に対して不安を抱える事なく、今生きているその瞬間にフォーカスして日々過ごしている。

人間が過去や未来から思考を切り離すには、意識的にそれをしなければならない。
それがMeditationにあたる。

私はMeditationが得意ではなく、沢山の人にヨガを勧められたけれど、ヨガのクラスにはそれなりの人数が集まるので、どうしても色んな事が気になってしまうし、家でヨガの動画を観ながら1人でやれるほどストイックな人間ではない。

でも、相棒の犬と自然の中を散歩している時間は、無意識のうちにMeditationの世界へと引き込まれる。
犬を通して見る世界は美しく、犬との散歩は1日の中で1番穏やかな気持ちで居られる時間だ。

今私が住んでいるバンクーバーから車で1時間弱の所にある町には、数えきれないほどのトレール(散歩コース)があり、人工物から完全に離れた場所にすぐにアクセス出来る。

子供達が小さかった頃は、喜んで一緒に散歩に来てくれたが、今は友達と遊んでいる方が楽しいらしく(寂しいけど、まぁそうだろうなぁと思う。何か買って欲しいものがある時は喜んで付いて来るが)、1人で散歩に行っても良いのだが、いつもモモが私の横を一緒に歩いてくれていたのもあって、1人で歩くのが寂しくて、モモとお別れしてから散歩に行かなくなった。

モモが居なくなった寂しさと、私の安らぎの時間が大きく失われたことによって、ここ数ヶ月間は自分の心がずっと不安定だった。
フワフワ宙に浮き、どこかに飛んでいってしまわないように紐で括りつけられ、フワフワし続ける私は船酔いに似た気持ち悪さと、縛られている痛みを感じていた。

犬を通して世界を見る事で、私は過去と未来から離れる時間が持て、大地に足をしっかりと付ける事が出来るのだ。

「やっぱり私の側に犬が居て欲しい。」

そう思い始めたが、しばらく迷った。
(その事に関しては、また改めて書きたい。)

そして我が家に青い目をした仔犬がやって来る事になる。



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