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病気自慢するよねぇ、歳重ねたら。

18歳の時、唐突に網膜剥離になった。これが、人生最初の入院〜手術。強度の近視が原因らしかった。約三週間ほど入院して、手術。眼球に麻酔注射!という衝撃の経験を経て、私は強くなった。しかし大学の後期試験を受けられず、追試となった。追試では本試験の8割しか得点できないので、良が増えた。軽音の部活も、夏の合宿まで楽器吹奏にドクターストップがかけられた。

次に罹ったのは36歳頃の突発性難聴。後に浜崎あゆみが罹患した病。原因は不明で、毎日通院して二時間の点滴。二週間後には寛解したが、しばらくは低音域が聴こえにくかった。そのうち聴こえ方に慣れて気にならなくなった。

以降、何年かおきに四文字熟語的な病が続くのだけど、いったい人は一生のうちに何回くらい入院や手術を受けるのでしょう。

二回目の入院は、38歳くらいで硬膜下血腫。福岡に転勤となる前年のことだった。通勤途上で車対単車で出会い頭に衝突。家から事故現場までの記憶が、架空の道路に塗り変わって走馬灯のように再現された。一瞬でベンツの横腹にヘルメット大の凹みを作り、割れたヘルメットのプラスチックが額に傷を創り、路肩に佇んで救急車に乗った。額の縫い目は7cmほどで、応急処置の後、形成外科で縫い直した。しかしその2ヶ月後、酷い頭痛に見舞われ、血腫が発覚した。入院二週間、頭部にドリルで穴を穿って血を抜いた。部分麻酔で「聴こえますか」と応答しながらゴリゴリゴリとドリルの音を聴いていたのが印象的。そしてはい頭痛は消失した。

それからまもなく福岡に転勤となり、その頃空咳が増えておかしいなと思っていたら、大人の気管支喘息だった。半年我慢して病院に行ったら、「よくまぁ歩いて来れたね」と、言われて約二週間の入院となった。手術はないが、血中酸素濃度が上がるまで安静が必要だった。喘息なのに、当時はまだあった院内の喫煙室に通ってた。友人に煙草を通達してもらって。

48歳では、人に言えない一ヶ月の入院と手術。術名も期間も長かった。これは人生の大きな転換期となった。長男がウチで予備校通いをしていた時で、よくまぁひと月留守にできたなぁと。

そして50歳で一回目の耳下腺腫瘍手術。右耳下にグリグリができて、大したことないと思っていたら、案外長い傷跡が耳横に残った。十日ほどの入院だったが、ほとんど覚えていない。

さらに51歳で右目、55歳くらいで左目の白内障手術。網膜剥離の影響で早かったのかもしれない。いずれも日帰り手術だったが、目に麻酔注射は、やっぱり恐ろしい。

2024年の今年、自転車自損事故による鎖骨骨折手術。併せて肩甲骨と肋骨も骨折。一週間の入院中に手術。骨折は初めてなのでよくわからないが、全治3〜4ヶ月という。約2ヶ月経過した今でも腕が上がりにくいし無理すると痛い。

そんな最中に、これは以前から予定していた耳下腺腫瘍再発による手術。なんで再発したのかわからない。8割良性だというが、悪性に変性しないとは限らないので、切除手術がデフォルトだそうだ。しかし再発の場合、顔面神経との癒着が予想され、場合によっては一時的〜永久に顔面麻痺となるリスクが高いらしい。まぁ、多少の麻痺なら仕方がないが、顔面の部位によっては唇に力が入らない=ラッパが吹けなくなるかもしれない恐怖。
二割という高頻度で麻痺になるそうだが、幸いそうはならなかった。ラッキー!

ところで、今回も前と同じ国立医療センターで手術を受けたのだけど、調べてみたら、耳下腺腫瘍はおよそ10万人に1人という確率で、年間罹患者は5,400人。うち悪性が2割。治療実績は関西では大阪医科薬科病院が最多で年間100件弱。ところがこの病院は、中耳炎が専門領域で、耳下腺腫瘍手術は月1件程度。全国のランキングにさえ入っていない!え"!ま、でも麻痺もなくできたんだからいっか。。。

ということで、大小併せてざっと10件の入院や手術を受けてきたのだけど、普通に生きてて、このくらいの入院・手術ってあるものかしらん。

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