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モモコのゴールデン街日誌 「白雨」

中華系のカップルだった。マンダリン(中国標準語)で話している。どちらも30代後半くらいだろうか?

短髪の男の方は、ラグビー選手並みに鍛えられた上半身で、暑い胸板に筋肉のついた大きな腕や肩が麗しい。

女性は小柄で、さらりとしたナチュラルな茶色のロングヘアー。丸顔で、歌手の華原朋美の若い頃に少し顔立ちが似ている。

ちょうどカウンターでウーロン茶を飲んでいたJ子さんは「歌手の島谷ひとみにも似ている!」といってスマホの画面を見せてくれる。

爽やかで健康的な印象のふたり。

だけど、夜のお出かけにしては、えらくラフというか、Tシャツにショートパンツ姿だ。

カップルで旅行をしている場合、特に女性の方は、夜出かけるときもワンピースか、セクシーなトップスを着ているものだ。そう、日本の旅まるごとがデートなのだから。

しかし、このカップルは、日曜日に近所のコンビニに買い忘れた牛乳でも買いに行くような雰囲気なのだ。

だが、お互いに気を許しあった付き合いの長いカップルや夫婦感もない。

きっと出張で来た仕事仲間かなにかと思い「どこに住んでるの?」と聞いてみた。

「僕は香港。彼女はシンガポールから来たんだ」

ということは、やはりデートではないのだろうか。

「日本には仕事で来ているの?」

そんな質問をひとつでも投げれば、会話に飢えた外国人の場合、放っておいても、アレコレと旅の目的や計画の話しが溢れだすもの。

しかし、このふたりは妙に口が固いというか、たまに目を見合わせては、何か言いにくそうにしている。

少しずつ質問を投げ、関係をひも解いてみると、彼らは半年ほど前に、マッチングアプリで知り合った関係だという。

住む国が違うものだから、簡単に会うわけにもいかず、この半年ほどずっとメッセージのやり取りだけを続けてきたらしい。

そしてやっと今回、東京ではじめて会うことになったのだ。

マッチングアプリで男女が出会うこと自体、今どき珍しくない。ソワレに訪れるカップルや夫婦の客に馴れ初めを聞くと、日本人、外国人問わず、半分くらいはアプリ経由の出会いだ。

しかし、マッチングアプリ用語でいうところの「デート・ゼロ」(初めて顔を合わす1回目のデートのこと)の外国人カップルは、はじめてだ。

もちろん、恋に手慣れたプレイボーイ&プレイガールなら、旅先の遊び相手探しに、ばんばんアプリを使うだろう。

なんなら旅の目的にしている遊び人も多いかもしれない。

しかし、このカップルはどうもそんな風に見えなかった。

なにしろ、遊びの恋だとしたら、もっと盛り上がっているはずなのだ。

異国のウキウキ気分で頭はちょっとイカれ気味となり、ウソか本当か分からないロマンティックな言葉も、囁きやすくなる。ハート型の濡れた目を輝かせるだろう。

しかし、この中華系カップルの間には、そんなうわつきとは逆の生真面目な緊張感があった。

「え?!Tinderで出会ったの?」

面白いので、とりあえず酒のつまみに聞いてみることにした。

「東京にはいつまでいるんですか?」

「6日間だけど、明日帰るんだ」

と香港の男の方が言う。

朋ちゃん似の女はうんうん、と黙って頷いているが、わたしの顔を見て何か言いたそうな顔をしている。

シンガポールの朋ちゃんが言いたいことはすぐに分かった。

「...で、これからどうするん?」

わたしは朋ちゃんのために、下世話なおせっかいオバちゃんになりきることにした。

英会話だが、心のなかは関西弁のオバちゃんである。

「お姉さんは、どう思います?」

と朋ちゃんは、助けを求めるような目でわたしを見ていう。微笑みながらではあるが、目の奥は真剣だ。

「どう思うって、付き合うならどっかで会わないと。毎回東京に来るの?」

うーん、それはねえ、という顔で首をかしげる女。

「あ、じゃあ次はシンガポールで会う?」

うーん、それもなあ、という顔で首をかしげる男。

「あ、わかった!結婚しちゃえば?一緒に香港に住むのはどう?」

深夜のゴールデン街では、思いついたことを無責任になんでも言える。
しかし適当なわけではない。正直な意見だ。空気も壊れない。

この街の空気には、粘りがあるのだ。

壊れやすいしゃぼん玉ではない。軟式テニスのボールくらい弾力がある。

しかし、そんな強めのボールを打てるのは、当事者以外の特権であり、デートゼロの最中のふたりには、そうではないようだ。

シンガポールの朋ちゃんはすかさずいう。

「仕事があるから、そういう訳にもいかないのよ」

「じゃあ、彼のほうがシンガポールに住んだらええやん」

「僕は両親と住んでるんだ。彼らを置いて行くわけにも行かないし...」

と、まあ煮え切らないこと。

それもそうだ。ふたりは東京で落ち合ったものの、まだ恋人同士ではないのだった。

もちろん男のほうは、甘い期待を抱いて来たに違いないだろうが、シンガポールの朋ちゃんは、アプリで半年もメッセージをやり取りしていたとはいえ、会ったばかりの男と関係を持つつもりはなさそうだ。

駆け引きしているのだろう。賢い女だ。

これ以上、余計なことをいうのも野暮だと思い、話題を変えてみた。

「なにか飲みますか?」

シンガポールの朋ちゃんは少しほっとしたという顔で、ハキハキと大きな声でドリンクを注文した。

「ジンアンドソーダをもう一つお願いしまーす!」

きれいな発音の日本語だ。

「日本語が上手なのね!学校で勉強したの?」

「勉強はしてません。でも日本のドラマをたくさん見ていたから」

「なんのドラマを見てたの?」

「やっぱり有名な『101回目のプロポーズ』とか『東京ラブストーリー』ですかね!」

90年代の日本の人気ドラマを気に入って何度も見ているうちに日本語を覚えたのだという。

香港の男のほうも、同じ世代の日本のドラマを見て育ったそうで、ふたりはおそらく、アプリ上のやり取りのなかで、日本のドラマや音楽の話しで盛り上がって意気投合し「じゃあ東京で会おうよ」という流れになった...と、容易に想像がついた。

90年代のドラマの話しで盛り上がっていると、ドイツ人の3人組の男性たちが入ってきた。

続いて、カリフォルニアから来たという新婚カップル、そしてニューヨークから来たという20代の若者男性たちが入ってくる。

雨降りで曇り空の今日でも、ソワレは大繁盛だ。一度に客がたくさん入ると、わたしはドリンクを作るのに忙しく、接客する時間がない。

だが、客が退屈するかというと、その心配はない。

「どこから来たの?」

と狭い店内のみなに聞こえるような質問を投げておけば、その答えを聞いた他の客がラリーをつづけてくれる。

「お!僕もむかしニューヨークで働いてたよ。ところで、日本にはいつまでいるの?」

とかなんとか、話しを続けてくれる。

私はただ、最初のひと声のため、空気の氷を割るだけでいいのだ。

この日はとにかく、この中華系Tinderカップルの初デートというシュチュエーションが面白すぎるため、他の客もわたしと同じように、それを聞くなりすぐ、おせっかいオバちゃんになってしまう。

まず、ニューヨークで大学生をしているというアメリカ人の若者たち。

「マッチングアプリで会って東京で会うとかスゲ〜!カッコいいっす!オレらはろくな人とマッチしないよな? 彼女さん綺麗ですね、大事にしたほうがいいっすよ!」

そして、ITエンジニアをしているというドイツ人の40代くらいの男性。

「君ね、ちゃんとしないとダメだよ。オレも昔、国際遠距離恋愛というのをしたことがあるが、アレはだめだ!アレは続かない。やっぱり近くに住まなきゃ。親や仕事なんて、なんとかなるじゃないか!人生でいちばん大切なものは何か、考えなきゃ」

シンガポールの朋ちゃんはときおりわたしの顔を見て「呆れたわ」というふうに首をすくめ、

「あーあ、このお店に来る人はみんな仲人になりたがって困っちゃう」

といって笑う。

しかし、本心はそうではないとわたしは思った。彼女も本当はドイツ人のおじさんが言うとおり、彼の近くで住みたいのではないだろうか。

「香港においでよ。幸せにするから」とか、

「シンガポールに行くよ。力を合わせれば、なんとかなるさ」とか、

そういう言葉が欲しいのではないだろうか?

と、思いつつ、ここは何も水を差さない方がいいだろうと黙っていた。

すると急に、さっきまでカウンターの端で見つめあい、ヒソヒソ話しをしていたカリフォルニアの新婚さんの女性の方が、ドイツ人のおじさんの方を振り向き、

「わたしもそう思うわ!」

と言って、話しに加わった。

新婚さんらしくラブラブ状態だったので放っておいてあげていたが、それでも何となくみんなの話が耳に入っていたようだ。

この新婚さんの女性の方は、ブロンドヘアのポニーテールにブルーアイズ。淡いピンク色のレースのノースリーブが、透けるほど白い肌によく似合い、声も少女のように高い。

純朴であどけない印象だが、話は理路整然としており、かなり知的な女性なのだろうと分かった。

あとで聞くと、小学校で児童専門の精神科医をしているらしく、確かに子ども番組の歌のお姉さん風の明るい笑顔が、とびきりやさしかった。

「UMESHUをもう一杯、ロックで下さい」

とわたしにニッコリすると、ドイツ人のおじさんを向いて、自分たちの馴れ初めのエピソードを語った。

「わたし達もね、最初は遠距離恋愛だったのよ!しかも出会ったのは旅行中なの。タイ北部のパイっていう町に滞在してたんだけど。そこで、彼ったら、わたしを1ヶ月半ずっと追い回していたわけ」

「へえ、そうなの?それで付き合うことになったの?」

梅酒を注いだグラスをカウンターに置きながら、わたしは合いの手を入れる。

精神科医のうたのお姉さんもきっと、わたしと同じくシンガポールの朋ちゃんの気持ちを察していた。

「まさか。そんな簡単には付き合わないわよ。まずは本気度っていうか、誠意を見せてくれなきゃね」

旦那さんのほうは「言うねえ〜」とでもいうように眉をあげ驚いた表情をしながらも、誇らしそうに彼女の肩を抱いた。

「旅から帰ってから、遠距離恋愛がスタートしたのよ。彼は東海岸、わたしはカリフォルニアだったから遠距離よ。わたしはまだ大学生だったから、彼が何度も会いに来てくれたの。そのうちに彼がカリフォルニアに引越してきて...」

「それで....どうなったの?」

シンガポールの朋ちゃんが、カリフォルニアのうたのお姉さんに思わず質問している。

「そんなこんなで、7年後のいま、じゃーん!東京で新婚旅行中というわけです!だから大丈夫よ。遠距離恋愛でも上手くいくわ。本当は、結婚したのは3年前なんだけど、コロナがあったから、やっと新婚旅行に来られたの。うふふふ♡」

それを聞いて、ドイツ人のエンジニアおじさんは

「ほら!遠距離恋愛でも上手くいくのさ。君が頑張らないとダメだ!明日帰るんだろう?じゃあ今夜、これから将来のことをちゃんと話さなきゃ」

と、さっきまで遠距離恋愛はダメだと言っていたことは忘れ、調子の良いこと。

中華系Tinderカップルは、困ったなあという表情で、「そろそろお会計を...」と言い、帰る準備をし始めた。

わたしはお釣りを渡しながら、

「また来てね。『東京ラブストーリー』のつづき、聞かせてくださいね」

と言い、カップルに手をふり、小さなガッツポーズをして見送った。

ドイツ人のおじさんは、そのあともまだ納得いかないという顔で、

「彼女のほうがさ、懐疑的すぎるんだよなあ、もっとオープンに仲良くすりゃあいいのに!」

わたしは「分かってないね」という顔で、同意を求めて、カリフォルニアの精神科医のお姉さんの顔を見てみた。

お姉さんはふたたび、旦那さんとラブラブなふたりの世界に没頭中だ。
おでこをくっ付けあい、わたしの方には目もくれなかった。

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微生物さわぐ匂いがして白雨 夜桃

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