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モモコのゴールデン街日誌 「雷」

ゴールデン街はお盆前くらいから少しだけ暇になった。

毎週土曜日、夜勤明けに朝ごはんのオムライスを食べにいくヒロシくんの店でよく会うベテランママのナツキさんにそういうと、

「モモちゃんさ、お盆とかお盆明けってのはこんなもんよ。お盆とかって家族のためのもんでしょ。新宿もあっち側とか、こっち側には、この時期はまともな人は来ないわけ」

ナツキさんは「あっち側」といいながら歌舞伎町のほうを指差し、「こっち側」といってゴールデン街の辺りを指すため、胸の前あたりでくるくると手のひらを回しながら表した。ナツキさんは朝から知多をロックで飲んでいる。

「そいでさ、駅前のあのへんだとksさ、居酒屋とかは人がいっぱいなの。家族連れだとか、久しぶりに会う友だちやなんやで、そういう人らでいっぱいなの。でもここらへんは客が少ないって決まってんのよ」

お客のほうは少なめだが、ゴールデン街に働くひとたちは、みないつもと変わらず通常運転だった。

その代わりなのか、夏休みらしいことをしようという遊びのお誘いがあった。

ヒロシくんは先月梅雨が明けるとすぐ、LINEをくれた。

「海水浴に行きます。モモコさんも来ませんか?日曜日の朝8時に品川に集合して、みんなでワイワイいく感じです。来れるようだったら連絡ください。詳細を送ります!」

毎週土曜日の朝8時といえば、わたしは、家に帰って睡眠をとりはじめる時間である。そのまま日光に当たれば、肌は干からびるだろうし、その上、泳いだりしたら足が攣るに決まっている。

もちろん断ったが、お誘いは嬉しかった。ヒロシくんのいう「みんな」というのはゴールデン街や歌舞伎町で働く人や、店にくる客のことだ。

ちょっと普通の人生ではない日々を送る、夜の生き物たちが、明るい太陽にさらされ、浮き輪をつけてはしゃぐところを想像すると異様な感じもした。

だけどそのシュールな光景は、想像のなかでも魅力的だった。夜勤明けじゃない日なら参加してみたかったなあ、とちょっと残念な気持ちでいたのだ。

すると次の土曜日、今度はソワレくんが

「モモコ、日光に川遊びに行かない?」

と誘ってくれた。スマホで浅瀬の川の動画を見せてくれた。川面が木漏れ日でキラキラ光りたしかに夢のように夏らしい風景だった。

「すごくいい川なの!とにかくいいの!」

木曜の深夜0時にソワレくんが運転する車に乗って出発し、数日間泊まったあと、月曜日の夜までに帰ってくるという夏休みプランらしく、数人を誘って毎年行っているという。

しかし土曜日は、わたしはソワレのカウンターに入らなければいけないからムリかなあ、というと

「いいじゃない、他に誰か探して代わりに入ってもらえば?」

とはいえ、もう今週である。

急に代わってくれる人を見つけるのも難しそうなので、わたしだけ日光から土曜日のソワレに間に合うよう帰ってくることにした。

土曜日の朝、ソワレくんイチオシの川で、みんなでひとしきり遊んだ。わたしも同じくだが、いいとして独身ばかりで集まり、バケツで水を汲んで掛けっこをするのだ。夢中になりすぎて、バランスを崩し、滑って思いきりからだを岩にぶつけてしまった。痛いというほどでもなかった。

はしゃいだあとは、岸辺に咲く花を摘んだりして童心にかえる。

夏休み気分を満喫したあと、午後に東武日光駅から新宿行きの特急電車に乗った。

新宿駅に着いたその足でゴールデン街にむかう。

どうやら転んだせいで、ろっ骨を痛めたらしい。微かな痛みがある。たぶん多少ヒビでも入ったのだろう。

足が攣るのを心配して海に行かなかった割には、結局怪我をしているのだから、本当に自分は子どもの頃からどんくさいところがある。

店を開けると急に雨が降ってきた。雷の音も聞こえる。台風が近づいているらしかった。

今日はお客さんは少ないかもしれないな。

そう思いながら朝摘んだ花を束ねてカップに入れ、活けてみた。

当たり前なのだが、あんなに鮮やかだった青いツユクサはしぼんで消えてなくなっている。朝だけ咲くはかない花なのだ。

雑草の塊だけになった花束。仕方なくコーヒーカップに活けてみる。

まったく美しくないが、これはこれで、今日の思い出だ。そんなことを思っていると、入り口のビニールカーテンが急に開いた。

「すいません!入れますか?」

雨に濡れた男がひとりで入ってきた。この男はどんな夏休みを過ごしているんだろうか。

そんなことを思いながら、タオルを放り投げてあげた。

遠くでまた雷がひとつ鳴った。

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暇を愛でカミナリを聞くおわりまで 夜桃


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