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【自己紹介】私が会社員→経営者になった理由

こんにちは。
株式会社signの藤井桃子です。
いつもお読みいただき、またいいねやスキをありがとうございます。

現在、株式会社signの代表取締役を務めており、エシカル消費に関連した小売店、貸し会議室の運営、キャリア支援、不動産賃貸仲介業など、多くの仕事に携わっています。
そして1児の母でもあり、ママ業も全力でやっております。
嫁業については、理解のある旦那様のもとでサボり気味です笑

この自己紹介で私のことを少しでも知っていただけたらと思います。


いろんな違いに触れてきた幼少期から学生時代

私は広島出身で小さい頃から親の都合で引っ越しが多く、広島→仙台→広島→香川→広島と広島を中心とした転校を数回しました。
特に仙台から広島に引っ越しをした小学校3年生の時には、文化や言葉使い(方言)の違いに驚き、そのこと今でも鮮明に覚えています。
こういった経験から、新しいところに飛び込むということに対して人よりも慣れていた気がするので、経験をくれた両親に感謝だなと思います。

その後、中学で音楽に目覚め、高校からバンドマンの道に。
中学卒業時の夢はロックスターでしたが、高校で入った軽音部のあまりのレベルの高さに衝撃を受け、やっぱり才能って大事だと思い諦めたという経験があります笑(早い笑)
その時から、ロックスターになれなくても稼いでキャリアウーマンになりたい、仕事で活躍したいという思いが少しづつ芽生えていたように思います。
そして、手に職をつけることと、理系の方が就職がいいだろうという安易な発想で大学は福岡県にある九州工業大学 機械システム工学科へ進学します。

福岡はとても住みやすくご飯もおいしいところでしたが、私が住んでいたのは当時治安が悪いと有名だった筑豊地方。(住んでる方すみません)
「女性は夜1人で出歩かない方がいいよ」
と入学初日に言われて驚いた記憶があります。

また、機械システム工学科は女性が極端に少なく、なんと3人!!!
入学式にみんな来ていないんじゃないか!?と疑ったくらいです笑
その後大学院へ進学した時も女性は1人。
ですが、ずっと部活で軽音部に所属していたのもあり、男友達だけでなく、他の学科の女友達たくさんできたので、とても充実した大学・大学院時代を過ごすことができました。

就活の時は、全く起業なんて考えておらず、どちらかというと大手志向。
私が条件として挙げていたのは
・福利厚生のいい大手(育児しながら働けること)
・女性でも活躍できること
・稼げること(最低でも年収1000万は稼げる会社)
・都内のかっこいい場所で働けること(ミーハー心)
でした。
最後は推薦で第一希望の会社だった日本電気株式会社(NEC)に内定をいただき、第一希望の部署へシステムエンジニアとして配属になりました。

リアルの壁にぶつかった会社員時代

就職が決まったときは、人生勝ったと思いました笑
本当です!
自分の挙げていた条件に合致する大手の行きたかった会社に行けて、そのままキャリアアップして行けば年収1000万はいける!人生勝った!と。

ですが、6月に配属され、その3ヶ月後から転職活動を開始します。
早っ!と色んな人に言われますが、私は早かったと思っていません。

きっかけは配属されてすぐに激務になり、多くの先輩方のリアルに触れたこと。
元々やる気満々で入社し、まずは女性部長になりたいと思っていました。
だから、配属面談の時もやる気ありますアピールをしましたし、そのやる気を買ってくださって、かなり忙しいプロジェクトに上司の方々もアサインしてくださったと思います。

最初はその忙しいことに、仕事を早く覚えられるしラッキー!と思っていました。
毎日22〜24時くらいまで働き、日によっては終電に飛び乗って、1時間以上もかかる寮まで帰る生活。
実際忙しいのは別に嫌いではないし、必要なハードワークならいくらでもする!というタイプです。
ですが、この3ヶ月間で先輩たちの働き方、生き方を見て、色んなことを考えてしまいました。

みんな何のためにこんなに働いているのだろう?
こんな遅くまで働いて家庭はどうなってるのだろう?
子供が産まれたら出世して育児も両立するのは厳しそう・・・
仕事に追われて生きて人生楽しめるだろうか?
働くって一体なんだろう?

先輩たちはみんなとってもいい人で、優秀で大尊敬していました。
ですが、みんなどんどん降ってくる仕事をこなしいているという印象が強く、日々追われていました。

これを40年はできない、、、
そう思いました。
とりあえず3年と言いますが、私は目的のない3年間は無駄だ!と思い、転職しよう!と社会人1年目の9月に決意したのでした。

自分の人生の方向性を考えた就職活動

転職活動を始めた私ですが、すぐに壁にぶつかります。

やりたいことがない・・・

第一希望の会社の第一希望の部署にいたこともあり、やりたいことはできているし、会社が嫌いなわけではありませんでした。
会社で働いた先の未来に期待できないだけ。
そのため、転職の決め手が自分の中になく、転職活動しても悩んでばかりで何も決められませんでした。

その時に出会ったのが、元会社の先輩で起業をしていた方でした。
私の仲が良かった先輩の元同期で、早々に会社を辞めて独立されていたのです。
とても素敵な方で、会社の先輩でこんな生き方をしている人がいるのか!と衝撃を受けたことを覚えています。

人生相談をしたところ、
「自分が頑張った先に、何を実現していきたいのかをちゃんと決め、それを実現するためには今何をすべきかを考えてみるといいかもね」
とアドバイスいただき、そこから自分のことについてとても考えましたし、ビジネス書もたくさん読みました。
就職活動では業界や業種、福利厚生ばかり気にしていましたが、初めて「働き方」や「生き方」について考えたのです。
そして私が理想とする働き方・生き方を実現できるのは、独立して自分で仕事をすることなのだなと気付き、大手志向だった私が独立に向けて踏み出しました。
起業するようなタイプではなかったので、当時は学生時代からの友人たちには驚かれましたし、自分自身も期待と不安の渦に巻かれまくってました。
ですが、今振り返ると本当に一歩踏み出してよかったなと思います。

現在の事業について

約4年間かけて会社の仕事と並行しながら起業準備をし、営業代行業の個人事業主として独立、現在はエシカル消費に関連した小売店、貸し会議室の運営、キャリア支援、不動産賃貸仲介業など、複数の事業を運営しながら、ベンチャー企業の立ち上げのサポートもしています。

小売業では、二子玉川にあるエシカル、サステイナブル、テックをコンセプトにしたセレクトショップ「Ethical&SEA 二子玉川ライズドッグウッドプラザ店」を運営しています。
妊娠・出産をきっかけに、人にも地球環境にも優しいエシカルな生き方に興味を持ちました。
そして、子供達の未来に美しい地球を残すためにも、原料・製造過程にこだわった、健康や地球環境にいいもの商品をセレクトしています。

貸し会議室業では、五反田にある「五反田カンファレンス/ 貸し会議室」を運営しています。
リーズナブルにご利用いただける会議室として、多くの個人・団体・企業様にご愛顧いただいております。
周辺地域では規模の割に安価でサービスを提供させていただいています。

最後に

孫正義さんが言われていた好きな言葉があります。

自分の登る山を早く決めた方がいい
残された人生の年月が少ないと実現できる可能性がその分減る
世の中の99%の人が登る山を決めていない
人生を彷徨ってるに等しい

若いうちに自分の目指す道を決め、20代は思い切りチャレンジしようと決めたことで今がありますし、本当に有意義な意味のある20代を過ごせたことが幸せだなと思います。

そして、これからも社会に貢献し続ける経営者となるべく事業運営に邁進していきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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