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大卒のほうが幸せ、ではなくて。

無料塾の卒業生で高3になった子から、大学に指定校推薦で合格したとの連絡がありました。
私も受験して合格した大学で、私は結局そこには行かなかったのですが、学生時代はその大学の近くに住んでいたこともあり、なんだか親近感を感じてとても嬉しく思いました。
この時期は、高校生たちから大学や短大、専門学校へのAO入試や指定校推薦で合格したという連絡や、就職が決まったという連絡が届きます。
今年も大学進学が決まった子の他、やりたいことができてAOで専門学校に行くことになったよとか、今月就職試験を頑張りますといった連絡が来ていて、関わった子たちが真剣に進路を考えて、自分の道を歩んでいくことを喜ばしく思っているところです。

さて、無料塾では、ボランティアさんのほとんどは四大卒です。それも、偏差値の高い大学を出た人や在籍中の人が多くいます。私の無料塾にも、東大や京大、早稲田慶応やGMARCHなどフツーに何人もいます。
そして、多くの人が生徒に「大学は行ったほうがいいよ」と言います。そして私も、そう思っている一人です。

先日も、「通信制高校ナビ」というサイトでこんな記事を書きました。

この取材のとき、私は無料塾に来ている生徒たちをずっと思い浮かべていました。
統計をとっているわけではないのですが、無料塾に来ている子の中には結構な割合で「大学はムダ」と考えている子がいます。
「大学って、遊ぶところでしょ。時間の無駄じゃない?」
「奨学金をもらって行ってもな〜。勉強嫌いだし、働いたほうがよくない?」
生徒たちの家庭では、保護者が大卒というケースは少なく、家で大学進学に否定的な話をされている子もちらほら見受けられます。中には「高校に行って何になるの?」と言っていた親御さんもいました。「高校を出たら働いて家にお金を入れること」と決められている家もあります。
そういう子たちは最初から大学に行くという選択肢は「ありえない」となっているので、そこは違うんだよと伝えたいと私は考えています。

私たちや、私たちよりちょっと上の世代(40〜50代)が大学生だった頃と今とではだいぶ大学も変わってきています。就職のときに、どの大学に行ったかという意味での学歴は以前より効力を持たなくなってきていますし、学部や学科も多様化して、より専門的な学びができるようになっています。
それによって、自分は何を学んでどう活かしたいのか、より具体的にイメージして進学できるようになっているなと思うのです。
私が大学で講義をさせてもらうときに感じるのは、「学生さんたち、ずいぶんマジメだな!」ということです。先ほどの記事にもあるように、ICT化によって学び方も大きく変わっているなと思います。
単に四大卒という学歴をつくって就職に有利にするということでなく、大学に行く価値はかなり大きいように感じるのです。

ただ、四大進学以外の選択肢は「大学に比べて劣る」のかと言うと、決してそんなことはないとも思っています。

ここ大事なところで、私も無料塾を始めたときには「みんなが大学まで行ってくれたらいいな」「高卒で終わらないといいな」と思っていたのですが、年を経るごとに「いや、この思い込みがダメなんじゃないか」と思うようになってきたのです。

まず、「大学に行かないと不利」「なるべく偏差値の高い大学に行かないと不利」という考え方自体が、階層社会を作り上げてしまっているということがひとつ。
さらに、「大卒よりも低い収入で働くのは不幸」と決めつけてしまうのも、ずいぶん人を見下した考え方だったよなと。
もちろん、生活に困るほどの低収入からはすべての人が救われることが必要だと思います。それは社会保障の問題でもあるし、雇用側の意識や仕組みの問題でもあります。

でも、高卒で働いている卒業生たちが「今こんな仕事で頑張ってるよ」と少し誇らしげに連絡してきてくれたり、専門学校に行った子たちが「この資格をとって、こんな仕事に就きたいんだ!」と楽しそうに話してくれたり、その勉強の様子を見せてくれたり(無料塾の空いた席を使って勉強しに来る子もいる)するのを見るにつけ、「いいぞ、そのままいけ!」と思うのです。彼らを見て、「大学に行けていたらな」なんてことはまったく思わないのです。

ゆうて私もその場その場で流されて生きており、会社員をやめてフリーランスになって好きに生きている身……。
大学で学んだこともたくさんありましたし、大学でできた仲間との交流も続いているし、その手前の大学受験を頑張ったという経験も大きなプラスだったとは思います(ただ私の場合本気で受験勉強始めたのは高3の11月だったので、もう少し前からやっといたら…とも少し思ってます)。
でも、彼らも今の道を選んで努力したことで、たくさんのことを得ているだろうし、その経験の量や質に大きな差があるとも思えません。決して、ラクなほうに流されてるわけじゃないから。
むしろ私は「大学って、みんな行くんでしょ」と流されて受験して、その後のことなんて何にも考えずに、受験についても情報をほとんどとらず、過去問も一度も解かず無計画にやってしまったので、その点かなりお気楽なもんです。私と、無料塾の卒業生とを比べたら、彼らのほうがよほどちゃんとしています。だから、ちゃんと幸せになるだろうなと思うのです。

無料塾でボランティアをしている人たちの中には、最初私がそうだったように、「大学に行ったほうが幸せ」と考えている人も多いかと思います。
でも、そう思い込んでいると、子どもたちに「大卒は上、そうじゃないと不幸になる」といった考えが根底に透けて見える言葉を知らず知らずのうちに出してしまうことになります。
そんな言葉を浴び続てしまうと、子どもたちは、それ以外の選択肢をとったときに肯定感を持ちづらくなってしまうのではないでしょうか。そしてそれが、階層を作り上げてその分断をより強くしてしまう、なんてこともあるのでは……なんて思うのです。大げさでしょうか?

人は自分の経験からしか物を言うことはできませんが、それでもその言葉が「自分がこういう環境、経験を経たからこそ出ているものであって、そうでない見方もある」ということを常に意識しておくことは大切。最近そんなことを、よく考えています。


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