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今の日本社会の中で、無料塾はどうあるべきか。

昨日投稿した書籍『無料塾に今、できること——ともに学ぶ、ともに生きる!』(日本非営利塾協会)。
これ、「はじめに」の中で私こんなふうに書いたんです。

無料塾にも、団体によってさまざまな考え方があり、やり方があります。どれが正解ということはありませんから、みなさんが共感できるポイントが、どこかにひとつでもあればいいなと思っています。なるべく、中野よもぎ塾のスタンスを押しつけないように注意を払って執筆を進めたいと思いますが、どこかににじみ出てしまっている部分があるかもしれません。

「中野よもぎ塾」というのが私の運営している無料塾です。
本書を書きながら気を付けていたことは、自分の団体の経験、自分の方針だけに偏らないようにしようということ。さまざまな思いで運営している人たちがいて、無料塾がどうなっていくべきか、どんな役割を果たすべきかもさまざまな考えがあるということを、ちゃんと伝えなければと思い、執筆にあたっていたのです。
ところが、読んだ方に感想を伺ってみると、「第2章のよもぎ塾の紹介のところはだいぶ抑えようと頑張ったのが読み取れました(笑)」とか「割とよもぎ寄りにまとめてありましたね」みたいな声が聞こえて参りまして(汗)。
存分ににじみ出てしまっていたようです……。まずはちょっとだけ反省。

私の無料塾についてのスタンスはこうです。

①学力を上げる、高校に進学してもらうということはマスト。そのために入試の過去問や模試の過去問をみっちりやってもらい、生徒ひとりひとりの結果を細かく見ながら次に点を取れるところはどこかを分析して確実に5点10点アップを積み重ねていく。これは絶対にマスト。

②ただし、①を効果的にするには、人と人との繋がりの中でモチベーションを上げていくことが必要。無料塾には単に「低所得」というだけでなく、その他にさまざまな問題を抱えている家庭の子どもが来ることが少なくない。その日常の中でどう生きていきていくのか、どんなふうに前を向いていくのかを一緒に模索できる環境づくりが必要。

③大人についても共に学び成長するという考え方が大切。無料塾でボランティアする大人は「学べるのが当たり前」「学ぶ意欲があるのが当たり前」で育ってきた環境の人が多い。そういう人と、目の前にいる子どもたちとの間に断絶があってはならない。つまり「教わる人」「教えられる人」とハッキリ分かれてしまった時点で、心理的な格差が埋まらなくなる。子どもたちに寄り添えなくなる。

④ついでにいえば大人が楽しくやってない場所に、子どもが楽しく通えるわけはない。学ぶということの楽しさをお互いに分かち合える場所をつくりたい。

生徒たちの中には、①だけでじゅうぶんな子もいます。ただ、そういう子たちの場合は最初から「貧困が連鎖していきそう」という心配はなく、親も子も教育に関して意識が高いことがほとんどです。「勉強をする意味がわからない」「勉強して何になるんだ、どうせ……」「将来バイトして暮らすんだろうな」という子どもたちとはまったく違い、何かしらのモチベーションを持って勉強に向かっている子は、その先「にっちもさっちもいかない」状態に追い込まれる可能性は低いのではないかと思います。
中には親御さんは①を求めていても、それが激しすぎて子どもに大きなプレッシャーとなっており、さらに家庭事情などによって心理的な不安定さが重なって、②の機能がかなり必要な子もいます。
また、①のみに特化した団体には継続して通うことができず、こちらに流れて来たという子も立ち上げ当初からいて、実はそういう子のほうが将来どうなってしまうのだろうという不安が大きな子だったりします。

とはいえ、無料塾は民間有志が立ち上げたボランティア団体で、どこまで細かくできるかは団体の規模やどんな人材が集まるかによってまちまちになります。理想を追いきれるとは限らず、今私が①から④までの理想を追えるのはたまたま恵まれただけとも言えます。
それでも、一般的な進学塾の無料版としてのみの役割だけであれば、最も誰かの力を必要としている子どもたち(そして、そのことに誰からも気付かれていない子たち)を切り捨てることにつながってしまうとも感じます。
書きながら、そのことを改めて思ったわけです。

人と人とのつながりで社会はできており、その中で生きて行かなくてはなりません。でも、人々がつながってできている社会の中で、「おまえはこのラインより下だから自分たちには関係ない」「こっちに入ってくるな」と分断が生み出されているのが現実です。生活保護バッシング、母子家庭や貧困へのバッシング、無関心。そういうものが年々大きくなってきているように感じる今の日本社会です。
その中でいったん「おまえは向こう側」と切り捨てられた場合、どのように前を向いていけばいいのか。そして、「こんな社会イヤだよね、変えようよ」という声を社会にどう広げていけばいいのか。単に「いい成績をとってお金持ちになって、抜け出しなさい」というだけではこの社会は変わりません。同じことがどんどん繰り返されていくだけ。無料塾はそれでいいのか、そんなふうに思いながら、執筆を進めていきました。

本書第4章では、自治体が行う学習支援に大手進学塾が次々に参入してきていることについて、教育ジャーナリストのおおたとしまささんがこんなふうにおっしゃっています。

 タダ版進学塾であれば、塾代をクーポン券として配って、有料の塾に子どもたちに通わせるのとまったく同じですよね。
 ただ、無料塾が果たしている役割は、それだけに限りませんよね。そこが広く認知されていけば、話は変わってくるのではないでしょうか。
 決められたカリキュラムに則って、ただ勉強を教えるのではなく、それぞれの立場の人が自分の知識、時間、経験、モノを提供し合って支え合っていく地域社会のあり方を見直そうという活動であれば、進学塾が入ってきて、今ある無料塾がなくなっていくということはないはずです。

無料塾が地域社会のあり方を変えていき、それが全国あちこちに広がって行けば、私たち自身も、子どもたちも、この息が詰まるような社会、常にマウントを取り合ったり誰かを蹴落とすことで安心を得るしかなかったりする社会の中で、生きやすくなっていくのではないかなと思うのです。

無料塾は、そういうふうに社会全体を変えていく力を持っているのではないか。目の前の子たちと、子どもたちに関わる私たちがまず幸せになることは前提として、最終的にはそこから社会を少しでも変えていくことができたら……本書を書き終わった後、そんな壮大な思いが私の中にしっかり湧いているのを感じました。

無料塾本をどのように読んでくださるか、何を感じたか、みなさんのご感想もぜひお聞かせください。

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