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カンボジアの歴史について

日曜日にプノンペン観光をして、前にカンボジアに来た時にも行ったことのあった「トゥールスレン虐殺博物館」に行ってきました。

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△プノンペンの町なかにある「トゥールスレン虐殺博物館」


私も一度目にカンボジアに来た時に、アテンドしてもらった人から聞いて初めて知ったんですが、今から40年ほど前の1980年ごろ。カンボジアでは国民同士が争い、虐殺が起こっていたという歴史があります。

本当に概要だけ説明すると…

フランス留学をし、独裁者スターリンの思想に影響を受けた「ポル・ポト」はカンボジアで政権を倒し、クメールルージュ(カンボジア共産党)を設立します。国民が新政権の樹立に喜んだのも束の間、政権を握ったポル・ポトは過激な共産主義を行います。
ポル・ポトの考えは、「ポル・ポト政権には知識人が不要。知識があるもの、技術があるものは共産主義の邪魔になる」「政治を行う者以外は知識を持つ必要がない、原始時代のような平等な生活が理想」というもの。
そしてポル・ポトは都市部に住んでいる市民を全員農村に移住させ、そこで農民たちに農作業をさせます。そして、知識人に対しては収容所に入れ拷問や虐殺が行われました。
この知識人には医者、職人、教師などはもちろん、英語が話せる人、眼鏡をかけている人など疑心暗鬼に陥っていたポル・ポトによって沢山の人々が収容所送りとなりました。
また、さらに惨いのがポル・ポトによって子供たちは「悪い考えに染まっていない」とされていたこと。この考えにより、多くの子供たちが洗脳され、少年少女兵として、虐殺を行ったり地雷を埋めたりしていたこと。
結果的に、ポル・ポトが政権を握っていた4年の間に人口が3分の2に減少した、つまり国民の3人に1人が殺されたと言われています。

前回「トゥールスレン虐殺博物館」(知識人の収容されていた収容所)や「キリングフィールド」(多くの市民が虐殺された刑場あと)に行かせてもらって、カンボジアに抱いていたイメージとのギャップに驚き、興味を持って、映画を見たり大学の講義をとったりして自分なりに少し理解をつけて今回再び「トゥールスレン虐殺博物館」に行ってきました。

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△内部は撮影禁止なので外から撮影した様子


今はコロナ対策で今までのようなオーディオガイドが無くてひたすら歩いて回っていく感じ。

一回目のときのような怖さや驚きはもちろんあんまりなくって。ただ、いろんな映画のシーンとかと重ねながら回っていました。そして回っている最中心に浮かんでいたのはここの犠牲者の人が今の私に何をしてほしいというか伝えたいんだろうな、、ということ。


前回訪れたときに一番感じたのは、40年前だから私の親がちょうど私くらいのとき。日本もまぁまぁ発展していた時に、おなじアジアの中でこんなにもひどい虐殺が起きていたのにどうして他の国がとめられなかったんだろうなということ。理不尽すぎる独裁者がこんなに残酷なことをしていたのに何でもっとほかの国が支援をしたり、そういう他国からの介入みたいなことができなかったのだろうと。
そして自分も今の他国の状況に無関心ではいてはいけないなと、自分なりに答えを出して帰国しました。

けど今回のウクライナ侵攻が起こり。
あんなに強く感じたはずなのに今回のウクライナ侵攻のように自分の目の前でそういうことが起こったときにその状況を嘆くことはできても、自分が解決のために動くことってできないし。現地で起こっていることとは関係なく自分の生活は続くし。


そう考えたときに、私がここを訪れて「虐殺、怖いよね。もうやっちゃいけないよね。」「平和って大切だよね。」ってそれだけを感じてかえっていいのかな?こうやって私が訪れて、歴史を学んで何を感じるのが正解?犠牲者の人は何を伝えたいのかな?と何部屋にもわたって部屋一面に飾られている犠牲者の人の写真をみて考えていました。

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△人場の中央に置かれたモニュメント

最後に私の前半の説明だと圧倒的に説明不足だし、私の間違えや追えていない部分もあると思うので興味のある人はぜひ、有名な「キリングフィールド」という映画や「最初に父が殺された」という映画を見てもらえるとめちゃめちゃ理解が深まるかと思います!
(個人的には後者の「最初に父が殺された」の方が前知識なしでもわかりやすいし、ネットフリックスにあるので見やすいしオススメです!)


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