ブルーピリオドの主人公はなぜ八虎なのか(後編)

どうも、相変わらず文字量の多い人間です。
2000字越えたあたりで前後編に分けることにしました。

前編

https://note.com/momoko_0118/n/ndf754476f08b

さて

前編でお話したのは、美術漫画の主人公が、美術について何も知らない人間だった理由です。
が、それだけでいいなら、八虎のような見た目、性格の主人公でなくてもいいはずです。

ブルーピリオドを読んだ方、八虎ってどんな人間に見えますか?

私には、芯のない人に見えました。

正確には、美術に出会うまでは芯のない人だった、というところでしょうか。

前編の最序盤でお話した通り、八虎は、不良と優等生、どちらの側面も持っています。2巻の世田介くんの言葉を借りると、「なんでも持ってる人」です。

どちらの側面もあるというのは、どちらの人間にも合わせられるということであり、八虎の器用な性格が表れています。
同時に、八虎はとても不器用とも言えます。一巻の時点で八虎にとって一番仲がいい(ような描写に見える)のは不良達ですが、彼らにさえ打ち明けられないような、空虚な何かを抱えています。

不良の友人らと遊ぶのは楽しい。そう思いながらも、時々バカになりきれない自分もいる。人間関係も勉強も、物事を円滑に進めるためにノルマクリアする感覚に近い。
不良になりきれず、優等生と呼ぶにはらしくなさすぎる。これは完全に想像ですが、作品の中で、八虎は、美術を通して自分が何者であるのか探しているのかなと思いました(今書きながら思いました)。

「なんでもできてなんでも持ってる人」の八虎、はたから見ると羨ましい以外の感情が湧きませんが、美術に出会うまでの彼は、感情を表に出さない人間だったんだろうなと、一巻から読み取れます。

そんな人が、美術を通して自分と向き合って、自分を表現していく。「自分に素直な人ほど強い」世界に、自分に素直になったことのない人がのめり込んでいく。
美術を通して初めて、「ちゃんと人と会話できた気がした」八虎は、なんでも持ってるように見えて、何も持っていなかったんじゃないでしょうか。

美術に触れ、迷いながら美大への受験を決めた八虎ですが、今度は「不良と優等生」ではなく、「素直な自分と上辺だけの自分」の二面性を見せ始めます。とても面白いですね。

自分に素直になることにまだまだ抵抗があるようで、「芸大は記念受験」と言ってみたり、「美術館とか恥ずい」と言ってみたり。それでもその度に、自問自答したり、他者からの言葉で思い直したり。
美術に対して素直になるごとに、周りの人に対しても素直になっていきます。母親や、ユカちゃんへもそうですが、世田介くんへ向かって「嫌い」と言うシーンがとても好きです。美術にのめり込む前の彼なら、まず他人に向かって「嫌い」とは言わないはずだから。

そうやって、八虎が剥き出しの心で他者にぶつかっていくのを見ながら、ブルーピリオドの醍醐味ってここにもあるよなと思いました。

八虎に、私は読めば読むほど共感していくのですが、みなさんどうなんでしょうか。

基本的に、感情を出さずに取り繕っておけば、大抵のことは揉めずにスルーできます。友人相手だろうと心のどこかでバリアを張って、なんとなくその場をやり過ごして、なんとなく友達を続けます。そういうことを、したことないですか。

一番身近な友人にすら、冷めた態度を取っていた八虎が、初めて夢中になれるものに出会って、人とぶつかり合うことを経験して、やっと元の友人らにも、本音を伝えられるようになります。

本音を伝えられる人ってどのくらいいますか。その本音ってどこからどこまで本音ですか。なんとなく会話しながらバリアを張って、でも、バリアを張っていることに気づいてくれたらいいのにって思ったこととか、ないですか。

私はそういう人間だから、余計に八虎に入れ込むのかもしれませんが(とか書いたら常にバリア張ってる人間だと思われそう。そんなことないからね)、本当の意味で人と深い関係を築けている人って、今の日本にどれくらいいるのでしょうか。

八虎が自分に素直じゃないから、どういう風に他者に心を開けばいいかを教えてくれる。あるいは、バリアを張った八虎に対して、ぶつかって来てくれる人を見て羨ましいと思う。他者との繋がりが希薄だと言われる現代だからこそ、他者との繋がりが希薄「だった」八虎が、ブルーピリオドの主人公なんじゃないでしょうか。


ブルーピリオドの主人公はなぜ八虎なのか。
一つは、美術系スポ根漫画として、大衆を美術の入口に導くために、同じように美術に無知な主人公が必要だったから。
もう一つは、他者との繋がりが希薄だと言われる現代で、同じく他者と関わるのにバリアを張った八虎が、美術を通して自問自答し、他者に心を開く過程が共感を生むから。
この二つがあるから、主人公が八虎だったから、ブルーピリオドがここまで大衆に受け入れられる作品になっているのではないでしょうか。


さて、毎度のことながら私個人のいち解釈です。

八虎に共感できる部分は大きいと書いてはいますが、漫画の主人公として、八虎に人気が出るかと問われると、あんまり好かれそうな主人公ではないよなと思います。と言いつつ、私は読めば読むほど八虎に共感していきますし、三次元にいたら音速で好きになってる気がします(二次元だから共感で済んでます)。

好かれそうな主人公ではないからこそ、「好きなものを好きって言うのは怖い」ですね。
それでも、ブルーピリオドだから、こういう漫画の主人公だからこそ、私は堂々と八虎が好きだと言いたいのです。

ブルーピリオドについて、まだまだ書きたいことがあります。八虎がなんで好きかももっと深掘りしたいところですが、次はどんな記事が出るでしょうね(現時点で文章あと3つくらいあります。怖)。


それではまた。


ももこ

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