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ついに…

とうとうやって来ました。自殺未遂の日です。
その日はちょうど母の日で、得意のミシンでマスクケースを作り、プレゼント🎁したのを覚えています。

そして平凡な毎日が来ると思っていたのですが、ズボラな母だからなのか、経年劣化なのか。大切にしていたコナンくんのマグカップが壊れてしまい、ものすごく激怒しました。
今思うとどちらでも構わなかったのでしょうが、きっかけに過ぎないです。

その後、気を鎮めるために川へ音を聞きに行きました。
ずっと母への怒りをどう対処していいか分からず、かといって実家にいるけれど居候させてもらってるようなものなのに…と思ったり。

そんなこと段々考えてると頭の中がグチャグチャになって、いつの間にか考えてるのは前職場のこと。先輩方の意見聞いてやってたのにどうしてとか、コロナさえなければこんなところ(地元)に帰らなくても良かったのにとか。色んなこと考えて、ふと退職することを伝えた時の師長さんの言葉を思い出しました。
「そんなにミスするならここなら人を殺さないけど、あっちに行ったら薬とか管理しなきゃいけないからいつか人を殺すかもよ」の言葉を。

ああ。私って人を殺す人間なんだな。
早く誰かを殺す前に居なくならないと。
そんなこと考えて、川に入水しようとしました。
近くにたまたま父がおり、私を羽交い締めにしてまで止めるのです。
「お願いだから死なせて。お父さんのお願い聞いたんだから私のお願いを聞いてよ」「生きてて欲しいってのはお父さんのエゴでしょ⁉️」と散々暴言吐き腕に噛みつき必死に死のうと思っていました。そんな時にたまたま近所の方が川で人が溺れてるんじゃないかもと勘違いし警察へ通報されました😂

その後、状況を把握した近所の方が私が死なないように父へ加勢し、何とか一命は取り留めました。
その後、覆面パトカーがやってきて家まで送ってくれることに。事情聴取は母がして、父は私が何も起こさないようにとずっとそばにいました。

そして警察の方から精神科の受診を強く勧められ、近くの病院🏥へ緊急受診。
その時担当してくれたのは今の主治医でした。
クリニックでのお医者さんは知識は豊富ですがとても話し方が早く威圧的で怖かったのですが、主治医の先生はまっすぐ顔を見れなかった私の顔を覗いてまで目を合わせてくれました。

「え…お医者さんで目を合わせてくれる人なんているんだ。私みたいな人にも。なんで?」と率直に思いました。診察の際にもう死にたい欲求はいつも通りある状態で、でも一寸先は闇のようなそんな感じでした。
帰れると思っていたのですが、入院の書類を見た時に「ああ。私、患者になるんだ。看護師だったのに。ミイラ取りがミイラになっちゃった」
そんなことを思ってました。

最初に通されたのが、特室と呼ばれるナースステーションに近い1人部屋。洗面所、ベット(シーツなし)机のみ。

実は入院した病院は私が看護学生時代にお世話になった病棟だったので最初は、入院患者さんというよりは本当に看護学生のような感覚が強く、
なんで部屋に鍵がかけられるのか分からなかったしシーツも首吊り防止のためと聞いてはいたものの、これで寝ろと思うとあんなことで喧嘩なんてしなきゃ良かった。家に帰りたい。最期に大好きなもの食べてから死にたいなどと考えたりしていました。

経緯が自殺未遂だったので様子見として1週間滞在しました。そして先生の問診で病棟が変わることになりました✨

その時は、これが転機になるとは露ほども知らずに。

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