記憶の片すみと(1)

父は私が4歳のときに死んだ。

長い闘病生活だったらしい。
私の中に残っている父の記憶は、
「パパ」と呼んで無視されたこと。
パパと呼ばれることが嫌いだったのは知ってる。
私もわざと呼んだのかもしれない。
何度呼んでも無視をされて、私は泣いた。
たぶんあれは一時退院の日で、父は死を感じていたのかもしれない。

父は市場で魚の仲買業を営んでいた。
母は子供ができる前から専業主婦で、空いた時間は習い事をし、休みの日は家に友人を呼んで食事会をしていたらしい。
私が2歳になるくらいまで都内の小さな3階建てのアパートに住んでいた。
隣家族のお父さんは弁護士をしていて、下の階に住んでいた同い年の男の子宅のお父さんは有名な政治家の秘書をしていた。

3歳になるとき、父方の祖父母と同居をすることになった。
父が跡を継いだ会社は、祖父が一代で築き上げた会社だ。
祖父は頑固で厳しい人で、母と喧嘩していたのを今も覚えている。
私が大きくなったときに、「元海軍だから人を何人殺したか分からない」とか「あんな性格だからお婆ちゃんがああなったんだよ。」などと母が話すことがあった。

祖母は少し変わった人で、ほとんどの時間は仏間で寝ていて、わずかな起きている時間は虚ろな目をして独り言を言っていた。幼い私は自ら祖母に話しかけることは無かった。

長い間精神的な病を患っていて、父達(父は5人兄弟)は乳母に育てられたことは、私が大人になってから聞いた。

祖母は夜中に台所の床掃除を始めて水浸しにしたり、母が戸棚にしまった物を全部出したり、変わった行動は多かったが、小さな事は気にせず大らかな人だったそうだ。

私は小学生の頃にクリームコロッケが大好きだったのだが、それは祖母の影響だったらしく、
ほとんど外に出ない祖母がたまに出かけて行く先は、帝国ホテル。
帝国ホテルのクリームコロッケが大好物で、冷凍のクリームコロッケが常にうちの冷凍庫に常備されていたらしい。
母の任務は冷凍のクリームコロッケを上手に揚げること。
最初は何度も失敗をして破裂させたそうだが、その度に祖母が「大丈夫よ~また買ってくるから」と言い、
気が付くとまた冷凍庫いっぱいに補充されていたそうだ。

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