モモイロソーダ水

名前変えました 散文の山です ただ書いて消化したい。

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最近の記事

記憶の片すみと(6)

母方の祖父は、 他人に頼み事をされると喜んで受け入れるタイプで、 地域の自治会長を長年やっていた。 数学が得意で賢い方だったし、5人兄弟の長男なので、人をまとめるのは得意な方だった。 見た目もスラッと細身で端正な顔立ちで、口がうまかったので、ご近所のご婦人からよくモテた。 まぁそれは外の顔。 若いときは給料を全て酒に使い、酒を飲んでは暴れ、 50代で早期退職をし、退職金で庭に池を作り、盆栽と錦鯉と酒に散財した。 だから私は会社勤めしている祖父を知らない。 私が物心ついた頃

    • 記憶の片すみと(5)

      私が小学生のころ、 その日は母と一緒に歯医者へ行き、 帰りに近くのいとこ宅に立ち寄ることになっていた。 約束していたのか、急に思いついたのか、 それは覚えていないけど、 きっとあれは虫の知らせだったんだ。 いとこ宅のインターフォンを鳴らしてすぐに、 玄関から見知らぬ中年男性が慌てた様子で駆け出してきて 「ここの奥さんですか!?」 と母に尋ねた。母は驚いて自分は姉であることを伝えた。 「ここの旦那さんが亡くなったんだ!」 中年男性はそう答えた 母も私もその言葉が理解できず

      • 間違えた選択

        また今日も また今日も 有名人の訃報が届いた。 笑顔が素敵な女優さんでした。 また1人で 静かに 間違えた選択をしてしまった。 お願いだから、 家に押しかけたり、家族や友人に インタビューをしないでほしい。 数回会っただけの自称関係者は黙ってて。 ワイドショーは静かに死去を伝えるだけにして。 テレビ局は黙って彼女の出演作を再放送して。 静かに見送ってあげてほしい。 家族でも友人でもない部外者ができることは、 ただひとつ、 素敵な女優さんがいたことを 忘れな

        • 記憶の片すみと(4)

          猫カフェにネコ2匹置き去り コロナ禍の影響は? 猫カフェの前に猫が捨てられるニュースがあった。 「自粛期間中に犬や猫を飼い始めたが、飼うのが大変になって捨てる人がいる」 という話は7月あたりから目にするようになった。 きっとそんな人は、何かを理由にして この先も同じようなことをするんだろうな… と思って可哀想になった。 私が通っていた都心の幼稚園には、 猫が10数匹と年老いた犬が1匹いた。 (猫はもっといたかもしれない) 兄が入園したときは、犬は3匹いたそうだ。 普段

        記憶の片すみと(6)

          記憶の片すみと(3)

          父が亡くなったあとも2年間 父の実家に住んでいた。 母は長らく専業主婦だったし、私も兄もまだ幼く、 出ていく理由も無かったので、ただそのまま住んでいた。 父は5人兄弟で、姉と双子の弟2人と妹がいる。 双子の弟2人は、双子なのにあまり仲が良くなくて、 陰と陽、善と悪、のような2人だった。 悪の叔父は、 よく祖父と縁側で話し込んでいた。 後でわかったことだが、 父が亡くなる一年も前から 「兄さんが死んだらどうするのか」 という話をしていたらしい。 そんな悪の叔父の計画によ

          記憶の片すみと(3)

          記憶の片すみと(2)

          祖父は母と仲が良いとは言えなかったが、孫の私達には優しかった。母も'自分の感情を子供達に押し付けてはいけない'という考えだったので、2階にもキッチンがあるにも関わらず、夕飯は必ず1階でみんなで食べた。 私の記憶にあるのは、祖父と兄と母との4人で囲む食卓だ。 祖母が亡くなったのは私がもう少し大きくなってからなので、どうしてあの食卓に祖母が居ないのかは分からない。 父が居ないのは、入院中だったのか、亡くなった後の記憶なのか、定かではない。 きっと4人で食卓を囲むことが多かったのだ

          記憶の片すみと(2)

          記憶の片すみと(1)

          父は私が4歳のときに死んだ。 長い闘病生活だったらしい。 私の中に残っている父の記憶は、 「パパ」と呼んで無視されたこと。 パパと呼ばれることが嫌いだったのは知ってる。 私もわざと呼んだのかもしれない。 何度呼んでも無視をされて、私は泣いた。 たぶんあれは一時退院の日で、父は死を感じていたのかもしれない。 父は市場で魚の仲買業を営んでいた。 母は子供ができる前から専業主婦で、空いた時間は習い事をし、休みの日は家に友人を呼んで食事会をしていたらしい。 私が2歳になるくらいま

          記憶の片すみと(1)